日仏討論会:「拡張された人間 – 身体の補完から拡張へ?」

  • 日程:
    2019年06月29日(土)
  • 時間:
    14:30-17:30
  • 会場:
    東京大学本郷キャンパス 情報学環・福武ホール 福武ラーニングシアター(地下2階)
    地図
  • 使用言語:

    日本語、フランス語(日仏同時通訳付)

  • 共催:

    在日フランス大使館文化部、科学技術部、アンスティチュ・フランセ日本、東京大学未来ビジョン研究センター

  • 参加申込:

    アンスティチュ・フランセ日本ウェブサイトからお申込みください。

  • 備考:

    イベントの最新情報、詳細は、アンスティチュ・フランセ日本ウェブサイトをご参照ください。

概要

日仏の多彩な登壇者を招いて2019年6月29日(土)に開催する今回の日仏討論会では、新テクノロジー、 特にデジタル技術が可能とする身体の補完と、 アプリケーションによる人間の拡張をめぐり、次のようなより大きな問題について考えたいと思います:人間とは何なのでしょうか? 身体の補完と拡張の間に境界はあるのでしょうか? あるとすればその境界線はどこにあるのでしょうか?

パネリスト

江間有沙 (東京大学未来ビジョン研究センター特任講師)
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、理研AIP客員研究員、日本ディープラーニング協会理事/公共政策委員会委員長、人工知能学会倫理委員会副委員長としても活動。人工知能の倫理やガバナンスについてを研究テーマとしている。著書に『AI社会の歩き方-人工知能とどう付き合うか』(化学同人)など。専門は科学技術社会論(STS)

ダニエラ・セルキ (ローザンヌ大学人類学教授)
人類学博士。絶え間なく新テクノロジーが発展する現代社会を対象に、ロボット工学、人工知能、広く情報学における技術者の表現について研究する。世界で最初に医療目的でなく、自分の左手に人体改造手術を施し、センサーを神経につなぐ実験を行った英国のケビン・ワーウィックの研究所に数年間在籍。この例のように絶え間ない「改善」を目的とする施術が、人類に急激な変化をもたらし、滅亡すらもたらすのではないかという仮説のもとに、社会的課題を注視している。

遠藤謙 (ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー)
慶應義塾大学修士課程修了後、マサチューセッツ工科大学メディアラボバイオメカトロニクスグループにて博士取得。現在、ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー。ロボット技術を用いた身体能力の拡張に関する研究や途上国向けの義肢開発に携わる。2014年には競技用義足開発をはじめ、すべての人に動く喜びを与えるための事業として株式会社Xiborgを起業し、代表取締役に就任。

ニコラ・ユシェ(マイヒューマンキット開発責任者)
2002年労災により片手を失った彼は、シンプルな義手を装着して生活していた。2012年にファブラボという職人、技術者、製造人がアイデアを出し合う協働研究所と出会う。地域のファブラボと共にアイデアを出し低コストで義手を製作し、バイオニックハンド(筋電義手)の専門家として知られるようになる。製作者、講演者、そして限界をモチベーションに変えるための技能、彼が呼ぶところのハンディキャパワーメントの総括者として活動している。

【司会】
平和博(桜美林大学リベラルアーツ学群教授)
早稲田大学卒業後、1986年、朝日新聞社入社。横浜支局、北海道報道部、社会部、シリコンバレー(サンノゼ)駐在、科学グループデスク、編集委員、IT専門記者(デジタルウオッチャー)などを担当。2019年4月から現職。著書には『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(2019年)他、メディアとインターネットに関する著書、翻訳書多数。

【開会の言葉】
ジャン=クリストフ・オフレ 科学技術参事官

問合せ先

東京大学未来ビジョン研究センター
技術ガバナンスユニット事務局
ifi_tg[at]ifi.u-tokyo.ac.jp
※[at]を@に置き換えてください。

2019年6月29日(土)、日仏の多彩な登壇者を招いて新テクノロジー、 特にデジタル技術が可能とする身体の補完と、アプリケーションによる人間の拡張をめぐり、日仏討論会を東京大学情報学環・福武ホール福武ラーニングシアターで開催しました。当日は雨にもかかわらず、200名を超える方々にお越しいただきました。またイベント後にはフランス製の3つのバーチャルリアリティ体験もあり、大変にぎわっておりました。

 

 

話題提供


写真左から:ニコラ・ユシュ マイヒューマンキット開発責任者、遠藤謙 ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー、ダニエラ・セルキ ローザンヌ大学人類学教授、江間有沙 東京大学未来ビジョン研究センター特任講師

ニコラ・ユシュ氏:マイヒューマンキット開発責任者
ユシュ氏は2002年に労災で右腕をなくしました。それ以来、義手を使って生活しています。義手は1960年代に開発され、この数年間でかなりの技術発展がありました。しかし、それでもまだデメリットがあります。高額であること、扱いが複雑で使いにくいこと、とても重いこと、です。

そんな中、ユシュ氏は3Dプリンタの存在、FabLabの世界を知りました。そこでは義手の作り方がだれでもアクセスできるように公開されていました(オープンソース)。ユシュ氏はファイルを印刷し、義手を作り「自分自身を補完、修理」することができました。

3Dプリンタで作った義手はプロトタイプであり、脆く、何もできませんでした。しかし、義手を自分で作れるとことで、ユシュ氏は自分自身の障害を受け入れることができるようになったそうです。他人の意識を変えることは難しいですが、自分の意識を変えることはできる。このような観点からMy Human Kitというオープンラボを作り、車いすの人の首をサポートする装置を作ったりしています。

遠藤謙氏:ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー
遠藤氏は人間のバイオメカニクスに興味があり、義足の研究を行っています。現在、遠藤氏は乙武さんとの協同プロジェクトを行っています。今回のテーマは「人間の補完と拡張」です。ニコラさんが義手を付けるのは「補完」ですが、乙武さんは四肢欠損が普通の状態です。そのため、乙武さんが義足を付けるのは、彼にとっては「拡張」になります。あえていうならば、健常者の価値観を押し付けるという問いを押し付けるプロジェクトです。

またパラリンピック選手の義足も作っています。選手は板バネを使って走っていますが、彼らが本当に走りやすい形は健常者が想像するものとは違うだろうと、日々試行錯誤しています。一方で、義足を付けた人が健常者より早い記録を持つことはずるいのではないか、という議論もあります。

ダニエラ・セルキ氏:ローザンヌ大学人類学教授
文化人類学者のセルキ氏は、今回のテーマ「補完と拡張」という言葉遣いに言及し、自動車を修理するかのように、現在は人間が修理、補完、拡張ができると捉えられているのが今の社会だ、と指摘しました。

セルキ氏は、身体拡張をして自らサイボーグになりたいというケヴィン・ワーウィック氏を研究していました。多くの人はそのようなSF的な観点からの「拡張」ではなく、「補完」的なアプローチ、すなわち治療やセラピーに技術を使うべきだと彼を批判しました。しかし一方で、現代社会は病気の範囲が広がっています。「死」ですら取り除くべき障害とも思われ、我々は常に死ぬ人間を「修理」しようと戦っているのです。

これに対するリスクをセルキ氏は2つ指摘しました。1つは補完、拡張そして修理に対して、誰もがアクセスできる状況にないということです。もう一つは、補完、拡張できる社会とはどこへ向かうのかの議論が十分に行われていないことです。

江間有沙:東京大学未来ビジョン研究センター特任講師
科学技術社会論研究者の江間は、誰でもが自由にものを作れるとなった時、例えば軍事利用などにも使えるとなった時、コミュニティとしての規範はどのように考えるべきか、問題を投げかけました。誰でもが技術を作れる、作る側と使う側の垣根が曖昧になってきている現在、想定外の利用法や影響について上流(アップストリーム)から考えていく体制づくりも求められています。そのためには、様々な立場の人たちが関わって対話していくことが重要です。

対話というのは、相手の考えを変えようとして行うものではありません。ニコラ氏が、「自分の意識を変えることができた」といっていました。我々一人一人が持つ無意識な思い込みについて、対話を通して自分自身で気づき、イベント後も持ち帰ってもらって周囲の人たちと話すことによって、少しずつ今後の社会や人間について考えるきっかけとなればと思うと述べました。

パネルディスカッション

 

 

人間とは何か


パネルディスカッションは桜美林大学リベラルアーツ学群教授の平和博氏の司会で行われました。平氏は、機械と人の置き換えが進む中、人間性をどう捉えればいいのか、疑問を投げかけました。体の6割が人間なら、まだ人間でしょうか。では9割が機械なら?

セルキ氏は、どの一線を越えると人間が人間でなくなるのかということは、誰にも分らないと指摘します。しかし、そうなる前に考えていくことが重要です。

江間は、人間性を考える補助線として「自立」概念を挙げました。自分のことは自分でするため機械に頼ったり、機械を身体に埋め込んだりすることは、「自立」のために肯定されるかもしれません。しかしそれは、技術に「依存」することでもあるかもしれません。技術と人間の身体が共生する世界になり、身体、認知だけではなく意思決定までも任せる社会では人間性をどう捉えればよいでしょうか。

これに対し、ユシュ氏は「ウォーリー(WALL-E)」という長編アニメーション映画の世界を紹介しました。そこでは機械が賢いため、人間は何もしなくてもよい世界が描かれます。歩くことを忘れる人間がいるような状態で、人は自立しているとは言えません。人にとって自立とは、コミュニケーションを取りたい、遊びたい、生きたいということが自分でできる、という状態だとユシュ氏は指摘します。また、自立できない人たちに対して技術へのアクセスを可能にする社会にもしていきたいと述べました。

遠藤氏は自立とは、金銭的な自立と生活の幸福度があることではないかと述べました。乙武さんは自分で水も飲めませんが、自立しています。技術があることで、自立だけではなく、その付加価値としての満足度なども得られるような社会の仕組みが必要ではないかと述べました。

DIY文化の未来


続いて平氏は、作る側と使う側の垣根が低くなるDIY(Do It Yourself)の文化やメーカーズムーブメントが今度どのようなインパクトを与えるかどうか、問題提起しました。

ユシュ氏は、共有することの価値が過小評価されていると投げかけました。彼はFabLabで義手を作りましたが、多くの人の助けがあってからこそでした。それが、障害を持ってる人たちの自信を取り戻すことにつながります。ほかの人とアイディアを共有したい、助けたい、共に成長していこうという思いをFabLab関係者は持っており、その思いに垣根はないと言います。

遠藤氏は起業家としての立場から、物を作るときの単価や敷居が減ってきたことを指摘しました。さらに、イノベーションは当事者から生まれるというリードユーザーという言葉を紹介しました。お金になるからではなく、自分事だからモチベーションは高くなります。単価が下がり、モノ作りが好きという人たちと当事者が集まると、社会に貢献したいという活動が生じる現在の流れはとても自然だと指摘します。

セルキ氏も、大量生産のトップダウンではなく、ボトムアップからの動きが重要と指摘しつつもオープンソース化による悪用リスクに言及しました。リスクをゼロにするには技術の進歩もやめるしかありません。我々が技術進歩を続けていく限り、リスクとの共生を考えなければなりません。

江間も、人と技術の共生は個人だけではなくコミュニティや社会で考えていくべきであると指摘しました。FabLab憲章のような自主ルールを作ること、技術だけではなく、技術運営の仕方も共有しオープン化していくことが求められているのではないかと述べました。

ユーザーからの視点


会場には、遠藤氏の義足を使用している陸上パラリンピック選手である佐藤圭太氏もいらしていました。佐藤氏は技術のおかげで、人生が「拡張」されたと述べました。

また、「自立」の議論では、パラリンピックの選手村を思い出したそうです。パラリンピック選手は、ほとんどが社会的には弱者と呼ばれる人たちです。しかし彼らは自分たちを弱者とは考えていません。技術は選択肢の一つであり、腕がない人たちの中には「義手がないことが当たり前だから普段はつけない」人も多いそうです。ただ、腕があったほうが走りやすいから義手を付けるそうです。技術的に裕福な国とそうでない国の差はありますが、結局は個人の選択や考え方によると指摘しました。


写真左から:佐藤圭太 陸上パラリンピック選手、今井剛 NPO法人Mission ARM Japan理事

会場とのQ&A


会場からはいくつもの質問がありましたが、その中でいくつか興味深かった論点を紹介します。

 

義肢のデザイン


義手や義足のデザインについての質問がありました。遠藤氏は、乙武さんの義足を肌色ではなく機械的なデザインにしたそうです。その方が、違和感がないと遠藤さんは考えたそうです。ユシュ氏は、会場にいらしていたNPO法人Mission ARM Japan理事の今井剛氏が腕につけていらっしゃる3Dプリンタの義手を紹介しました。今井氏の義手は3本の指のような形をしています。人の指とは認識はされないものの、「この義手を付けている今井さんが、今井さんだよね」と今井氏は知り合いに言われた言葉を紹介しました。「手の形」ではなく、「その人の形」というのがあるのではないかと今井氏は指摘しました。

これに対し、セルキ氏も「人間を人間たらしめている3つのキーワードを書け」と言われた時、人々は皆違うキーワードを書くのではないかと述べました。人間とは何かは主観的なものです。また義手は、手を失ったのに手が動かせる魔法のように見えるかもしれませんが、使い手にとっては魔法でもなく、自分のモノになります。佐藤氏やユシュ氏も、義足や義手を付けること、それが自分の手や足だと思うようになることで、幻肢痛が緩和されていったと述べました。

人間の尊厳


技術の限界や人間の尊厳をどう考えるかとの質問がありました。セルキ氏は技術の進展に対して法や倫理が問題を提起しても、技術は止まらないだろうと指摘しました。人間の尊厳に対しては、個人の尊厳を選択することによって家族や社会の間でのジレンマが生じる可能性を江間が指摘しました。簡単に答えが出る問題ではありませんが、安易な答えに飛びついたり、わからないからと思考停止をしたりすることのほうが問題です。現在社会は、技術だけではなく、悩みもオープンにして共有することが可能です。

ユシュ氏はなぜ人間は長く生きたいと思うのか、長く生きることがいいことと思われていると指摘しました。ユシュ氏は、皮肉にも腕を失って、人生の意味を見つけることができました。10歳だろうが100歳だろうが、自分の生きる意味を見出せることこそが、重要ではないかと述べました。

文化的・制度的な議論


会場にいらしていたNPO法人Mission ARM Japan理事の近藤玄大氏からは義手や義足に対する文化的な差はあるのかという質問がありました。これに対し、ユシュ氏はヨルダンでの経験を共有しました。ヨルダンの人たちは3Dプリントされた義手ではなく「本物のように見える手」を欲したそうです。その理由は、お祈りをするときに義手だとわからないようにということでした。義手を付けることで社会になじむことができる、社会から排除されないで済むということです。これはヨルダンだけではなく他の国でも多く見られます。実に8割の人が目立たない義手を望みます。

セルキ氏はさらに、健康や医療費を制度的にどのように扱うかも重要であると指摘しました。オランダでは一時期、美容整形も医療費で扱えましたが、「補完と拡張」の線引きが必要ということで廃止されました。文化的、制度的にも補完や拡張の線引きの議論が行われています。

これからの議論に向けて


人間とは何なのでしょうか? 身体の補完と拡張の間に境界はあるのでしょうか? あるとすればその境界線はどこにあるのでしょうか?

これは本討論会のテーマに掲げられていた3つの問いです。討論からは普通や基準とは何なのか、人間が自分たちをどう自己定義するのか、自立とは何か、といった新たな問いがでてきました。どの問いに関しても答えは容易にはでません。だからこそ対話を通して、私たち一人一人が考えていくことが重要になります。

多様性が議論を進めるには必要です。今回のイベントは、遠藤氏という作り手、ユシュ氏という作り手かつ使い手、セルキ氏という作り手の観察者、佐藤氏という使い手、さらには会場には日本で義肢装具に関するコミュニティを作っているNPO法人Mission ARM Japanの理事のお二人にも議論に参加いただきました。義手や義足一つとっても、日常に使うこと、選手として使うこと、あるいは「その人たらしめるもの」として定着することなど、人と技術の関係性は1つにとどまることはなく、多彩な側面を描き出します。

決して他人事ではないこの人間の補完と拡張というテーマに対し、私たち一人一人が新たな気づきや発見、あるいは違和感や疑問を覚えたかと思います。今後このテーマに対する議論が広がっていくことを企画側の一人として願っています。

(文責:東京大学未来ビジョン研究センター 江間有沙)