藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言) 所得分配にかじ切った日米中 「大きな政府」できるか
日本、アメリカ、中国。この3カ国の政府がいま、経済成長第一から所得分配を重視する政策への転換を訴えている。
安倍政権のシンボルがアベノミクスであったとすれば、首相に就任した岸田文雄氏の標語は、新しい資本主義、あるいは、新しい日本型資本主義だ。先の自民党総裁選において岸田氏は、小泉政権以降の新自由主義的政策の転換を訴えた。政権が発足して直ちにつくられたのが、菅政権が発足させた成長戦略会議に代わる、新しい資本主義実現会議である。
新しい資本主義とは何か。岸田首相はアベノミクスにおける金融緩和・財政出動・成長戦略の3方針を堅持すると述べているだけに、政策の変化を読み取ることは難しい。確かに所得再分配は国民の支持を期待することのできる政策であるが、それでは現在の日本で高度経済成長の再来を考えることはできるのか、また資本主義と日本という国名を結びつける意味がどこにあるのか、わからない点も多い。
それでも、子育て世帯の住宅費や教育費を支援し、看護師、介護福祉士、保育士の所得を上げるなどの政策を見る限り、所得再分配に重点を置いたと考えていいだろう。成長と分配の好循環などと用心深い言葉遣いはしているが、経済が成長すれば分配は後からついてくる、まず必要なのは経済成長だなどというトリクルダウン政策との違いは明らかである。所得分配を主要な政策として掲げるのだから、政策の転換といっていい。
再分配政策の課題は財源であり、財政赤字が拡大する懸念がある。だが、アメリカのバイデン大統領は岸田首相よりさらに大胆だ。政権発足直後に1兆9千億ドルの追加経済対策を実現し、さらに3兆5千億ドルに上る税制・支出法案を提出した。富裕層への増税を含め、富裕層への減税と貧困層への社会的補助の削減を進めてきた共和党政権とはまるで逆の政策である。上院共和党は連邦政府の債務上限を上回る支出として、この法案に抵抗を続けている。
追加経済政策をジョンソン大統領、つまり1960年代以来の積極財政だと自賛したことからもわかるように、バイデン政権は、レーガン政権から続く「小さな政府」に代わって「大きな政府」の復活を試みている(ニクソン政権は「小さな政府」とは呼べない)。政府による市場への介入は最小限とせよとする経済理論に支えられ、ニューディール以後の「大きな政府」と福祉国家が解体に向かって久しいが、40年にわたる流れを反転しようというのである。
成長から分配への政策転換は中国でも起こっている。習近平(シーチンピン)国家主席は貧富の格差を縮小し国民がみな豊かになる「共同富裕」を訴え、その方法として所得税制度の変更、さらに不動産への課税も検討していると伝えられる。既にアリババを代表として巨大化した情報技術産業が締め付けられ、富裕層への圧迫が厳しい。共産主義を掲げるのだから格差是正は当然にも見えるが、改革開放以後の中国は分配よりも成長を優先した。「共同富裕」は新しい言葉ではないが、分配が中国政府の主要な目標となったことは否定できない。
分配が政策目標となる背景は格差の拡大だ。所得格差を数値で示すことは容易ではないが、30年のタイムスパンで見るならば日米中3カ国ともに貧富の隔たりは拡大してきた。さらに新型コロナウイルスの流行はただでさえ疲弊した貧困層の暮らしに打撃を加えた。格差が拡大すれば各国政府の政治基盤も揺らいでしまう。政治権力の延命のためにも所得再分配は無視できない。
では「大きな政府」が実現できるのか。ここには中国と日米両国の分かれ目がある。所得の格差は強権的に抑え込めるかも知れないが、中国共産党が権力を保持する限り、国家と市民との間に開いた政治権力の格差は開いたままだろう。逆にアメリカでは、巨額の財政支出を行ったところで貧富の差を埋め、中産階級が再生する見込みは小さい。所得の不平等が民主主義と併存する政治を変えることは難しい。
では日本はどうだろう。新しい資本主義の実現を試みたとしても、財政赤字の拡大を覚悟しながら社会保障と税制によって所得再分配を進める方針が示されたわけではない。財政再建と成長戦略を求める圧力のために構想が挫折に終わる危険は大きい。
これまで所得再分配を掲げてきた野党勢力にとって分配を目標に掲げる政府は選挙で戦いにくい。だが、所得再分配を目指す政策の内実を与野党が競い合うことができれば、選挙は政策選択の場になる。これこそが、強権支配と民主主義の違いにほかならない。(国際政治学者)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2021年10月20日に掲載されたものです。