藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言) 民主主義サミット 連帯と排除の愚行、再び

12月9日から2日間にわたり、バイデン米大統領の呼びかけによって、世界111カ国・地域の代表が参加した民主主義サミットが開催された。何が議論されるかよりも誰が参加するのかに関心の集まったこの会議にはどんな意味があったのだろうか。
米中競合が固定化・長期化するなか、友好国を確保する競争が生まれた。直接に軍事対決するリスクが高く、単独では覇権の保持が不可能であるため、友好国、露骨にいえば味方を増やすことで優位を模索するのである。
軍事的連携で優位に立つのはアメリカだ。NATO(北大西洋条約機構)や日韓豪との同盟に加え、QUAD(日米豪印戦略対話)のもとでインドとの連携も強化した。他方、中国は西側同盟に比すべきネットワークを持っていない。ロシアとの軍事演習は繰り返されているが、ロシアが中国との共同防衛協力にコミットしたとはいえない。
経済では中国に有利な面も見えてくる。国際貿易・通貨体制の中心に位置するとはいえ、成熟経済のアメリカに中国に匹敵する高成長は見込めない。発展途上地域への積極的開発協力によって一帯一路戦略を進める中国は、経済的影響力を政治と軍事における影響力に結びつける試みを展開してきた。

軍事と経済の勢力拡大競争だけならば従来の国際政治と違いはないが、民主主義サミットは力や実利ではなく、理念と体制による連帯の試みだ。中国とロシアが世界的な民主主義の後退を加速させているという危機感のもと、アメリカが中心となって民主主義を国際政治の課題として再提示すべきだと、バイデンは大統領選挙の時から訴えてきた。そこに強権支配との協力を厭(いと)わないトランプとの違いを鮮明にする狙いがあったとしても、選挙目当ての策謀だけではない。デモクラシーを平和と結びつける考え方には長い伝統があるからだ。
1917年、第1次世界大戦への参戦を求めて議会で演説した際、ウッドロー・ウィルソン米大統領は民主主義にとって安全な世界をつくり出す必要を述べた。ジョン・アイケンベリーが『民主主義にとって安全な世界とは何か』で論じたように、アメリカは民主主義諸国の安全を図るべきだというウィルソンの理念をフランクリン・ルーズベルト大統領は基本的に踏襲し、その理念は第2次大戦、冷戦、さらに冷戦終結後のアメリカ外交にも引き継がれてゆく。トランプ政権において背景に退いていたこのアメリカ外交の理念をバイデン政権は復活させたのである。
台湾とウクライナが招かれる一方で中国とロシアが外されており、ここで民主政治の対極に想定されているのは中国とロシアだ。中国の台湾攻撃とロシアのウクライナ侵攻が懸念される状況を民主政治と権威主義的支配との対抗という構図から捉え、アメリカを中心とする民主主義国が連帯して権威主義体制の脅威に立ち向かうことを呼びかける。民主主義サミットは軍事や経済における勢力拡大などに還元して考えることのできない、極めて理念的な国際秩序の模索であった。

さて、どう考えればよいのだろう。民主主義は普遍性を持つ理念と政治体制であり、民主政治の防衛というアメリカの主張には説得力がある。民主主義には地域による多様性があるという中国の主張にも一理はあるが、現在の中国のように明確に民主政治に反する体制を多様な民主主義の一つに数えるのは明らかな誤りだ。どれほど地域文脈性があるとしても、民主主義は強権支配の別名ではない。
問題はその先にある。地域による相違があるとはいえ、北米、西欧、日本や韓国の民主政治は類似性が高く、軍事的には同盟、経済的にも市場経済によって既に結びついている。だが他の地域に視野を広げるならこの類似性と連帯はあいまいとなってしまう。ドゥテルテ政権のフィリピンほど強権的な体制まで民主主義国に入れるのなら、シンガポールやタイはなぜ排除されるのか。さらに、このサミットで民主主義国から外された諸国が中国やロシアとの関係強化に向かう危険もある。
民主主義にとって安全な世界とは、自由で、しかも多様な世界であるはずだ。中国の主張する民主主義概念がどれほど恣意(しい)的な強弁であっても、民主政治が多様であることは事実である。冷戦期の世界では民主主義、あるいは自由主義陣営という言葉は政治的に利用され、消費された。そのなかで、共産主義ではないという理由から自由主義陣営に数えられた軍事政権も数多い。
バイデン政権はいま、民主主義のイデオロギー化という冷戦のもとで続けられた愚行を繰りかえそうとしている。独裁の別名ではなく、しかも欧米の模倣でもない民主主義を築いた日本は、その愚行に従ってはならない。(国際政治学者)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2021年12月15日に掲載されたものです。