藤原帰一客員教授 朝日新聞(時事小言) 「核に頼る平和」脱するには 抑止続く限り、廃絶なし

ロシアがウクライナを侵攻するなか、核兵器に頼る安全保障は世界に広がるばかりだ。この流れを変えることはできるのか。それが7月12日と13日に開催された2022年度ひろしまラウンドテーブルの課題だった。
ひろしまラウンドテーブルは、核廃絶という理念を具体的政策として実現するため、湯崎英彦広島県知事の呼びかけにより13年から開催されてきた国際会議である。ギャレス・エバンズ元豪外相と阿部信泰元国連事務次長(軍縮問題担当)を始め、スコット・セーガン、ジョン・アイケンベリー、沈丁立、ラメシュ・タクールなど核問題と国際政治の代表的な専門家各氏が集まり、核兵器が再び戦争で使われることのない世界を作るための選択を考えてきた。私は発足時からその議長を務めてきた。
今年の会議は核軍縮にとって厳しい国際情勢の中で開催された。ロシアのウクライナ侵攻によって国際政治の法と制度が揺るがされている。INF条約(中距離核戦力全廃条約)は失効し新START(新戦略兵器削減条約)も失効に近づくなど、核を管理する国際体制が危機に瀕(ひん)している。ロシア政府は核兵器の使用に言及し、核兵器によって恫喝(どうかつ)を加えながら通常兵器で侵略戦争を続けている。実戦で核が使用される可能性も無視できない。

アメリカ、ロシアばかりでなく中国を含む核兵器保有国は、核兵器の近代化を急速に進めている。核の拡大抑止、いわゆる「核の傘」の下にある諸国では、日本における「核共有」の訴えを始めとして、「核の傘」の有用性に期待し、それを強めようとする動きが生まれている。核の削減どころか核抑止の強化と拡大が訴えられているのである。
ラウンドテーブルの提案の中核は、核抑止への依存の削減である。ウクライナ侵攻が露呈させたように核を用いない侵略を防ぐうえで核抑止には限界があり、しかも核抑止が破綻(はたん)すれば核戦争になってしまう。広島と長崎への原爆投下を経験した日本では、核兵器は国民の安全を破壊する兵器であるという認識と、核兵器削減と全廃という目標が国民的合意であったが、ウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル実験や中国の勢力圏拡大を前にする世界では、核抑止こそが国民に安全をもたらすという考えが広がっている。日本が核兵器禁止条約(TPNW)への参加を拒んだ背景にも核抑止への依存があった。
安全のために核抑止が必要だと考える限り、核廃絶は実現できない。TPNW締約国は6月に会議を開催し、核兵器廃棄までの期限を10年とするウィーン宣言を採択した。だが、TPNWには加わっていない核保有国・核の傘の下にある諸国とTPNW締約国の間には大きな距離が開いている。
ではどうすべきか。オーストラリアなど核の傘の下にある諸国もオブザーバーとして締約国会議に参加した。ラウンドテーブルではTPNWが核廃棄の検証と履行の確保など核廃棄を実現する具体的過程を示していないと指摘されたが、オブザーバー参加を拒む理由にはならない。条約運用上の有効性を高めるためにも、日本のオブザーバー参加が求められる。

TPNWに加わらない日本が重視するのは岸田文雄首相の出席も予定されているNPT(核不拡散条約)運用検討会議だ。核保有国も参加するNPTは、核不拡散だけではなく、核保有国が核を削減する枠組みでもある。15年の前回検討会議が最終合意に至らず、NPT体制は停滞しているとされる。ラウンドテーブルは核保有国の核削減を定めたNPT条約第6条の履行を強く呼びかけている。
核軍縮交渉の再開や核兵器先制不使用宣言など、ラウンドテーブルの求める政策はほかにも数多いが、日豪両政府の立ち上げた核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND)の議長を川口順子元外相とともに務めたことで知られるギャレス・エバンズ氏について最後に触れておきたい。
エバンズ氏はカンボジア平和構築など多くの成果を残したオーストラリアの元外相であるが、1964年に広島を訪れて衝撃を受けて以来、核のない世界の実現を人生の目的としてきた。今回のラウンドテーブルにも高齢を押して参加され、核保有国と非核保有国との間に開いた距離から目を背けず、その距離を克服して核に頼る平和を乗り越える具体的な方法を提起し続けた。その粘り強い努力には賛嘆するほかはない。
核兵器は必要悪ではなく、排除すべき悪である。核保有国と核の傘に頼る諸国が核に頼る「平和」から核のない世界の平和へと政策を変えるために残された時間は少ない。(国際政治学者)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2022年7月20日に掲載されたものです。