藤原帰一客員教授 朝日新聞 (時事小言) トランプ関税が壊す世界 反米感情が中国を強化

トランプ米政権の発表した極度の高関税は世界経済を混乱に陥れた。かつてフーバー米大統領の高関税政策は大恐慌を拡大し、第2次世界大戦の一因をつくった。では、世界は恐慌と戦争の危機を迎えているのだろうか。

まず、米中関係はどうか。一般に、国際政治における力の分布の変化、覇権国家の弱まりと新興国の権力増強は、国際緊張の拡大を招く可能性が高い。そして中国は工業生産と科学技術において急成長を遂げており、米国と優に競合する力を保持し、軍事力でも米国との差を縮めている。過去8年における米中の緊張は中国共産党の強権支配や周辺への軍事的威迫だけではなく、中国台頭の帰結だった。
対中政策の転機は第1期トランプ政権よりもバイデン政権であり、同盟諸国との防衛協力を強化し、半導体とその製造装置などの輸出も厳しく規制された。その結果中国に対する抑止力と経済安全保障が進展したが、中国はロシアとの連携を強め米国以外の市場と友好国の確保に向かい、米中競合はかつての米ソ冷戦にも比すべき世界の分断に向かった。
第2期トランプ政権でもルビオ国務長官は同盟諸国とともに中国を軍事的に抑止する方針を発表したが、トランプ大統領が自ら発表したのは中国に限らず世界各国を対象とする極度の高関税である。しかも米国に直面しながら、中国は譲らなかった。
経済による威迫(強制外交)は、大国よりも小国、仮想敵国よりも友好国を対象とする場合により高い効果を発揮する。中国政府は報復関税を発表し、米国がさらに高い関税を発表した後も譲っていない。中国は対米輸出への依存を減らしてきたために関税を引き上げられても耐えることができる。他方、高関税による価格上昇は米国の消費者に打撃を与えることが避けられない。高関税政策は中国よりも米国に不利な選択なのである。

では米中の緊張が戦争に発展する可能性についてはどうか。トランプ政権の誕生によってむしろその可能性は増大したと私は考える。自滅的な高関税によってトランプは世界経済から安定を奪ったばかりか、米国の同盟国・友好国の信頼を失い、対中抑止を不安定にしたからだ。
急速に台頭する中国に対抗するためには、米国は米国単独ではなく、同盟国や友好国の協力を確保し、多国の連携によって米国一国の力を上回る影響力を得る必要がある。だが同盟に依存したバイデン政権と異なり、トランプ政権は同盟国・友好国の協力を顧みない単独行動と威迫を続けた。米国がどの国に対しても最大限の圧力によって最大の利益を得ようとするなら各国の信頼を得ることはできない。
トランプ政権はウクライナの頭越しに米ロ主導の停戦を試みた。このために欧州諸国と米国の同盟に深刻な溝が生まれ、欧州諸国は米国に頼らない「有志連合」の模索に向かった。
アジア太平洋では大西洋同盟のような亀裂はまだ見られない。だが、同盟国・友好国でありながら一方的に高関税の対象にされた諸国の米国への信頼が揺らいだことは間違いない。軍事体制と経済体制における米国の優位に依存してきた諸国は、米国に頼らない体制の構築を強いられている。
しかし、東アジアにおいては西側同盟における米国の比重は欧州よりも高い。米国を抜きにして中国に対抗する軍事的抑止力を確保することは、米国なき有志連合がロシアに軍事的に対抗することよりもさらに難しい。
さらに、米国が信頼できないとしても中国が信頼できるわけではない。自国の利益のために他国の安全や利益を犠牲にするゼロサム的な観点から国際政治を捉える点において、トランプ政権と習近平(シーチンピン)政権には類似性がある。経済における強制外交についても、中国が経済と技術を利用して各国に圧力を加えた例は少なくない。
同盟国の結束が弱まった米国は、中国から見れば以前よりいっそう衰えた大国に過ぎない。トランプ政権による経済的圧力は中国国内の反米感情を刺激し、米国の圧力に屈しないことによって習近平政権の大衆的支持を拡大することもできる。どれほど米国による高関税が中国経済には不利に働くとしても、政治的には中国が米国に譲る必要はないことになる。
アメリカファーストの熱狂の中で誕生したトランプ政権は戯画的なほど愚かな高関税政策とその動揺によって同盟国や友好国の信頼を失う一方で、中国共産党の政治基盤は強化してしまった。まだ恐慌も世界戦争も起こってはいないが、国際経済と国際政治の不確実性は飛躍的に高まった。政権発足からわずか3カ月のうちに、トランプはここまで世界を壊してしまった。(順天堂大学特任教授・国際政治)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2025年4月16日に掲載されたものです。