藤原帰一客員教授 朝日新聞 (時事小言) さらなるガザ攻撃 殺戮を直ちに阻止せよ

ガザ攻撃が重大な局面を迎えている。イスラエルのネタニヤフ政権が、新たな大規模攻撃を始めたからだ。
トランプ米大統領は5月13日から16日にかけて、中東のサウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦3カ国を訪問した。
カタールによる大統領専用機として使うことのできるジェット機の贈与や大規模な商談が話題となった一連の訪問において、トランプ大統領が触れようとしなかった課題がある。イスラエルによるガザ攻撃の停止である。
トランプがガザ停戦に触れないのは停戦の展望が見えないからだ。12日にハマスがイスラエル系米国人1人の人質解放を行った後、イスラエルとハマスはカタール首都ドーハで停戦交渉を17日に再開したが、合意には至っていない。ウィトコフ米特使はイスラエル首相ネタニヤフと会談し、人質解放と引き換えの短期停戦を提案したが、ネタニヤフ首相はこの案の受け入れを拒んでいる。
トランプ中東訪問のさなかには攻撃拡大を抑えたかに見えたイスラエル政府は、中東訪問の終わった16日以後、ガザ地区への空爆を拡大し、16日一日だけで100人以上が死亡したと伝えられている。空爆に引き続き、いま、地上軍によるガザ地区全面侵攻が始まりつつある。

ガザ攻撃開始から1年半が過ぎた。ハマスに残された戦闘能力はごく小さなものとなり、またレバノン南部を実効支配するイスラム組織ヒズボラもイスラエルを攻撃する力が大幅に弱まったと考えられている。では、いま改めてガザに全面攻撃を加える意味はどこにあるのか。ネタニヤフ政権は何を実現しようとしているのだろうか。
振り返ってみれば、ガザ攻撃の直接の引き金は2023年10月7日、パレスチナ暫定自治区ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスが、イスラエルに加えた大規模な攻撃である。イスラエル政府の建設したフェンスや検問所を突破したハマス戦闘員は多数のイスラエル民間人を殺傷し、人質として連れ帰った。ガザ地区のパレスチナ人がどれほど苦しめられてきたとしても、正当化する余地のない暴力行為だ。
ハマスの攻撃に対し、ネタニヤフ政権によるガザ地区への大規模な攻撃で応じた。ハマスが民間施設に隠れているとの理由から、病院を含む数々の民間施設が破壊され、援助物資搬送が阻まれた。ガザ地区保健当局は死者累計が5万3千人を超えたと発表している。ハマスの攻撃や人質の連れ去りがどれほど不当な暴力であるとしても、このような民間人の大量虐殺を自衛行為として正当化することはできない。
バイデン前政権はガザ攻撃を自衛行動として認め、イスラエルへの軍事支援を拡大しつつ、ガザ攻撃のさなかにイランがイスラエルを攻撃することがないようイランを牽制(けんせい)した。即時停戦を求める国連総会決議にも米国は反対票を投じ続けた。
しかし、ネタニヤフ政権から見るなら、バイデン政権のイスラエル支持は不十分なものに過ぎなかった。バイデン政権はイスラエルとパレスチナの共存による「2国家解決」を求めてきたが、ネタニヤフ政権はガザとヨルダン川西岸を含むイスラエル国家の樹立が目的だからだ。

トランプ第1期政権はイスラエルと湾岸諸国の関係正常化を模索し、アラブ首長国連邦とイスラエルのアブラハム合意を実現した。パレスチナを頭越しにイスラエル国家を湾岸諸国に認めさせることができるのなら、イスラエルが「2国家解決」に基づくパレスチナ自治を認める必要はない。ネタニヤフ政権は第2期トランプ政権誕生が確実になるまでガザ停戦を受け入れようとはしなかった。
第2期トランプ政権発足直前に始まったガザ停戦は3月には破れ、戦闘が再開した。ネタニヤフ政権が停戦を維持する意志を持っていたかどうかも疑わしい。ハマスの連れ去った人質の解放よりも武力によってガザを平定することがネタニヤフ政権の目的だったからである。
トランプ政権の目的は米国籍人質の解放であって、ガザ地区の停戦や民間人の保護ではない。イスラエルは米国の軍事支援に依存しているが、ガザ攻撃を中止させるべくトランプ政権がイスラエルに圧力を加える可能性はごく少ない。
こうして、既に破壊されつくしたガザ地区がさらに全面攻撃を受け、民間人が殺傷されてしまう。あってはならない暴力だ。
この殺戮(さつりく)を許してはならない。国連総会決議では圧倒的多数の諸国がガザ地区の即時停戦を繰り返し求めてきた。ガザ攻撃を直ちに、文字通り直ちに阻止しなければならない。(順天堂大学特任教授・国際政治)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2025年5月21日に掲載されたものです。