藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)安倍政権の首脳外交 官邸主導がはらむ罠
安倍政権の特徴は首脳外交だ。外務省など各省庁から政策決定を首相官邸に集約し、各国首脳と会談を繰り返す。首相が表に立って采配をふるい、世界各国の指導者に直接会って話すことで日本に有利な外交合意の実現を図るのである。
首脳外交を支えるのが長期政権だ。安倍政権以前の日本では毎年のように首相が代わる時期が続き、各国首脳との信頼関係を築くことが難しかった。首脳外交に加えて長期政権が安倍首相に対する国際的な認知を進めている。
それでは安倍首相による首脳外交は大きな成果を収めたのか。私はそう考えない。
まず、日米関係。2016年11月にニューヨークを訪問して大統領就任前のトランプ氏と会見して以来、安倍首相はトランプ氏の懐に飛び込むようなアプローチを続けた。今年5月における日本公式訪問はトランプ氏への歓待に彩られていた。
このような首脳外交のおかげで安倍首相とトランプ氏との間に信頼が生まれたのは事実だろう。日米首脳が親密な関係を築いた例は中曽根首相とレーガン大統領、小泉首相とブッシュ大統領など従来にもあるが、安倍首相とトランプ氏の関係に並ぶ先例はない。
だが、米国のTPP(環太平洋経済連携協定)離脱、さらに鉄鋼・アルミ製品への関税引き上げに見られるように、首脳間の信頼関係は日本の期待する政策に結びついていない。大阪の20カ国・地域(G20)首脳会議閉幕後の記者会見でトランプ氏は、日米安保条約を破棄する意思はないとしつつ、条約の片務性を是正すべきだ、安倍首相にもそう伝えてきたと述べている。
米国大統領が対日関税を引き上げて安保条約の見直しを求めるのだから、日米関係の危機と呼んでも言い過ぎではない。トランプ氏の懐に飛び込んだ安倍首相は、圧力を強化しても日本はアメリカから離れないというイメージをつくってしまった。日米首脳外交の主導権はトランプ氏が握っている。
対ロシア政策の中心も首脳外交だ。安倍政権は日ロ関係の最大の課題である領土問題に取り組み、プーチン大統領との会談を繰り返した。だがロシア政府の姿勢は固く、南千島はロシアに帰属するとラブロフ外相は言い放った。大阪のG20首脳会議に参加したプーチン大統領と安倍首相の会談も平和条約交渉を加速すると合意するにとどまり、領土問題の打開を示す内容はない。領土問題の解決を求める安倍首相がプーチン氏に足元を見られた構図である。
対中関係はどうか。トランプ政権を支持する議論の一つに中国の台頭を抑えることができるのはトランプ氏だというものがある。その背景にはオバマ政権の下で中国の南シナ海などにおける勢力拡大が放置されたという認識がある。
しかし中国の軍事的拡大を恐れる日本とは異なり、米国対中政策の焦点は米中貿易不均衡に置かれている。トランプ政権は高関税政策で中国は圧迫しても軍事的対抗は強化しておらず、中国人民解放軍の外洋展開はいまも続いている。さらに、関税を手段とした対中圧力は世界のサプライチェーンを揺るがすため、日本にとっても有利ではない。中国の軍事的拡大を恐れる日本が貿易政策では中国との協議を強化するという展開がここから生まれる。
イラン外交も成果を上げていない。G20直前にイランを訪問してハメネイ師と会見したが、米国とイランの緊張を緩和することはできなかった。北朝鮮についても、安倍首相は日朝首脳会談の開催を提案したが、北朝鮮は受け入れていない。アメリカ大統領との首脳会談が可能なとき、日本の首相と会う必要はないかのようだ。
なぜ首脳外交の成果が乏しいのか。それは、首相が自ら外交を主導するとき、官邸の進める政策に対して政府のなかで批判を行うリスクが高いからだ。トランプ氏と親交を結ぶだけではアメリカの対日圧力は減らないとか、プーチン氏との首脳会談開催は時期尚早だなどといった懸念は私には当然のものと思われるが、それを官僚が口にするなら首相官邸に睨(にら)まれる危険を冒さなければならない。そして、専門知識を持つ政策実務家が声を上げなければ、首相は裸の王様になってしまう。首脳外交と官邸外交の罠(わな)である。
問題は、対外政策の失敗を指摘する声が野党からも上がってこないことだ。今回の参院選においても、憲法改正を阻止しなければならないという主張は行われているが、安倍外交に対する具体的な批判は少ない。
政府の専門家は官邸を恐れ、野党は憲法に絞った政府批判に終始する。それが招く結果が、選挙に強いが外交成果は乏しい政権にほかならない。(国際政治学者)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2019年7月17日に掲載されたものです。