藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)原爆投下と慰安婦像 見たくない過去、語ろう
今年もまた、広島に原爆が投下された8月6日、長崎が被爆した8月9日、そして8月15日の終戦記念日と、戦争で亡くなった方々を追悼する式典が催された。新聞とテレビは74年前の戦争を振り返る記事や番組でいっぱいだった。
それを読み、観(み)ながら、心に引っかかることがあった。第2次世界大戦において展開された暴力のなかに、広く語られる暴力と、語ることの許されない暴力の二つがあることだ。
あいちトリエンナーレの企画「表現の不自由展・その後」が抗議ばかりでなく暴力行為の予告などを受けて中止となった。抗議や脅迫の元となった展示のなかには、昭和天皇の肖像群が燃える作品に加え、慰安婦の少女を表現した作品が、あったと報道されている。
企画展の中止に関する論評の多くは憲法によって保障された表現の自由との関係から議論するものであった。もちろん展示会を暴力によって威迫することがあってはならない。だが、表現の自由とはまた別に、気になった問題がある。慰安婦の姿を表現することは受け入れることができない、そのような展示は認められないと考える人々が日本国内に少なからず存在するということだ。
初めてのことではない。慰安婦の姿を表現した少女像は、設置を求める運動が韓国系団体を中心として展開され、ソウルの日本大使館前ばかりでなく世界各地に設置される一方、撤去を求める運動も行われてきた。
ここでは慰安婦の表象が戦時性暴力ではなく反日的な行為として捉えられている。語られない、語ることが許されない戦争の暴力である。「見たくない過去」といってもいいだろう。
語られる過去もある。日本で広く伝えられてきた暴力の中核は、広島と長崎への原爆投下だろう。膨大な数の国民の生命を奪い、生き延びた人々についてもその心と身体(からだ)にむごい傷を与えたこの事件は、核兵器は地上から廃絶されなければならないという願いとともに繰り返し語られてきた。原爆投下ばかりでない。広島・長崎の被爆は、東京や阪神への空襲、あるいは沖縄戦を始めとした、銃後の日本人が経験した戦争のシンボルとして伝えられてきたといっていいだろう。
一般市民の視点から戦争を捉えた作品の一つが「この世界の片隅に」である。こうの史代の漫画を原作としてテレビドラマも映画も作られたが、ここでは片渕須直が監督したアニメ映画を取り上げてみよう。
この映画のほとんどが、絵を描くのが好きな主人公、すずの視点で貫かれている。この夢見がちな少女は北條周作と結婚して広島を離れて呉に住むことになるが、太平洋戦争のさなか、日を追うごとに暮らしは厳しさを増してゆく。食べるものにも事欠く状態となり、呉は米軍の空襲を受け、広島に原爆が投下される。悲劇としか呼びようのない展開ではあるが、悲劇性を印象づける画面づくりや音響効果は抑制され、他方では結婚前のすずが住んだ広島も、夫の実家がある呉も、細部まで描かれている。
「この世界の片隅に」は、反戦や反核のメッセージを訴えるのではなく、すずの目に映ったものを観客に伝えることに徹している。ここで描かれる戦争の姿は、必ずしも新しいイメージではない。空襲と原爆投下というこれまでにも日本で語られてきた戦争経験が、軍人ではない日本国民の視点から精妙に表現されている。
「表現の不自由展・その後」の中止が発表された後、私は、3年前に観た「この世界の片隅に」を再見し、改めて感銘を受けた。そして、「この世界の片隅に」と慰安婦の少女像もともに受け入れることはできないのかを考えた。
戦争の記憶が政治的な争点となることは日本に限った現象ではない。1995年、スミソニアン航空宇宙博物館の企画した原爆投下の展覧会がアメリカ国内の反発を受けて中止に追い込まれ、原爆を投下したエノラ・ゲイが展示されるにとどまった。ここには「見たくない過去」としての原爆投下を排除する態度がある。
原爆投下を「見たくない過去」とするアメリカ人がいるように、慰安婦を「見たくない過去」とする日本国民がいるのだろう。だが、原爆投下への批判がアメリカ国民への侮辱ではないように、慰安婦を語ることを日本国民への侮辱だと考える必要もない。
不条理な暴力に踏みにじられた人間を描く点において、すずに心情同化して戦争を捉えることと慰安婦の表象を通して植民地支配と戦争を語ることとの間には矛盾はない。既に植民地支配も侵略戦争も過去のものとした日本であればこそ、民族の違いを超えて戦時の暴力の犠牲を見ることはできるはずである。(国際政治学者)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2019年8月21日に掲載されたものです。