藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)後先考えぬトランプ外交 混乱深めるシリア撤兵
トランプ氏が大統領に就任してから3年近く、テレビから目を離すことができない。テレビといっても、国内のニュースがほとんどの地上波放送ではなく、NHKのBS放送か、BBCとCNNばかり。それでは日本社会から離れてしまうのではないかという恐れはあるが、致し方ない。トランプ大統領がアメリカと世界の両方を壊しているただなかにあるからである。
シリアからの米軍撤兵が発表された。シリア内戦において地上軍の派遣に消極的であったアメリカはクルド系武装勢力に頼って軍事介入を進めたが、そのクルド系勢力を見捨てるかのように、派遣した部隊の撤収を命じたといっていい。
アメリカが海外に派兵した部隊を撤収するのは望ましいことではないか、国際平和のために必要な一歩だという声があるだろう。だが、事態はそれほど簡単ではない。米軍の撤退によって新たな戦乱が生みだされたからである。
シリア撤兵が発表されたのは、エルドアン・トルコ大統領がシリア北部のクルド系武装勢力が実効支配を行う地域への軍事介入を行う意思を公表した後のことであった。その予告に従うかのように、米軍が一部撤収した後、トルコはシリア国境を越えて進軍した。
トランプ大統領は、トルコの越境攻撃を認めたことはない、トルコの行動によっては大規模な経済制裁を加えると発表したものの、トルコによる軍事介入に対抗するどころか、米軍の撤退をシリア北部全域に拡大した。経済制裁にもかかわらずトルコの進軍は続いている。後退を強いられたクルド系勢力は、かつての敵であったシリアのアサド政権と手を結び、アサド政権の下のシリア政府軍がクルド地域に進軍していると伝えられている。米軍撤退はシリア内戦を再燃させてしまった。
シリアだけではない。トランプ政権は、その行動によって生まれる混乱を度外視したその場の思いつきのような対外政策を繰り返してきた。
北朝鮮に最大限の圧力を加えると脅した後に金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と首脳会談を行い、会談が成果を収めたとトランプ氏は主張し続けている。だが、朝鮮半島非核化に向けた具体的な措置が行われていないばかりか、北朝鮮はミサイル実験を繰り返し、ミサイルの潜水艦発射にも成功したと報道されている。
イランについては、核合意を一方的に破棄し、他国に経済制裁への協力を求めながら、イランの関与が疑われるサウジアラビア石油施設への攻撃の後も軍事介入は行っていない。トランプ政権は他国に脅迫を加えることには積極的でも、現実の軍事力行使には消極的なのである。
これまでのアメリカ政府が地域への軍事介入に成功してきたとは言えない。ブッシュ政権はフランスやドイツなど同盟国の賛同を得られないままイラク攻撃に踏み切り、イラクに力の真空を生み出した。単独行動によって中東情勢を混乱に導いたというほかはない。同盟国との協力を求め、一国による軍事介入に慎重であったオバマ政権もリビアとシリアに軍事介入を行ったが、地上軍派遣に消極的であったこともあって、地域の安定を実現することはなかった。
だが、トランプ大統領の招いた混乱はブッシュ政権やオバマ政権とは異なるものだ。他国との協議を経ることなく北朝鮮やイランに最大限の威嚇を加える一方、世界の警察官ではないと公言しつつ兵力を撤退する。トランプ政権からレトリックをすべて剥ぎ取るなら、残されるのは国際政治から手を引くアメリカであり、孤立主義の再興である。
これまで世界各国は、アメリカによる軍事力の行使が世界を混乱に陥れることを恐れつつ、その軍事力に頼って国際関係が安定することを期待するという矛盾した態度に引き裂かれてきた。そのなかで、NATO(北大西洋条約機構)諸国、オーストラリア、そして日本などのアメリカの同盟国は、アメリカを同盟のなかに取り込むことによってその単独軍事行動を抑えつつ各国の安全を損なうような攻撃的な国家に対してアメリカの関与を求めてきた。後先を考えない威嚇と撤退によって、トランプ大統領は同盟の信頼性を突き崩してしまった。
アメリカが国際的な関与から撤退すれば、ロシア、そして中国の対外的影響力の拡大を招かざるを得ない。安倍首相はトランプ大統領との協力を第一とする外交政策をとってきたが、アメリカが同盟国との協力を度外視する行動を繰り返すとき、日米同盟の信頼性は弱まることが避けられない。現代世界の安定を阻む最大の要因がトランプ大統領であることから目を背けてはならない。(国際政治学者)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2019年10月16日に掲載されたものです。