藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)香港と新疆 人権侵害、許されぬ黙認
一帯一路政策などから連想する中国は、軍事・経済の両面で覇権を求め、国際政治の安定を阻む新興大国の姿である。だが中国最大の敵は中国自身であり、共産党による抑圧的支配にほかならない。
まず、香港の情勢が緊迫している。2019年3月から引き続くデモが起こったきっかけは刑事事件容疑者の中国大陸部への引き渡しを可能とする逃亡犯条例の改正である。だが、林鄭月娥(キャリー・ラム)香港特別行政区行政長官が9月に条約改正断念を正式発表した後も運動は衰えず、目標も普通選挙の実施など香港民主化と呼ぶべきものに広がった。
暴力も加速している。警察は放水や催涙ガスばかりでなく銃による発砲も開始した。当初は非暴力に徹したデモも、参加者への暴行が続くなかで商店の破壊や火炎瓶の使用を始めた。11月8日に学生1名の死亡が確認された後はデモ隊と警察の衝突が毎日のように繰り返され、香港中文大学など大学キャンパスには警察が突入した。
14年の雨傘運動を第一として香港における反政府デモは従来もあったが、今回のように継続的で大規模なデモは初めてのことだ。背後には一国二制度の危機がある。かつては一国二制度という枠組みのもとで香港にはより民主的で開放的な制度が保たれ、やがて大陸部の深センや珠海に拡大する期待があった。いまは逆に、香港が大陸部の制度に統合され、一国二制が一国一制に変わりかねない情勢がある。
メディアが日夜伝える香港情勢と異なって、新疆のウイグル族に関する情報は限られている。それでも17年以後、再教育ないし職業訓練の施設との名のもとで膨大な数のウイグル族が収容されたと伝えられ、国連人種差別撤廃委員会では18年8月、最大100万人のウイグル人が強制収容所に入れられているとの報告が行われた。これは、テロを行った者に加えた刑事処分とは質の異なる予防拘禁と人権剥奪(はくだつ)であり、日本を含む世界22カ国も新疆における恣意(しい)的な抑留の停止を求める声明を国連人権高等弁務官事務所に送った(19年7月)。だが、中国政府がウイグル族の強制収容を停止し、収容者を解放したという報道は見られない。
1949年以後の中国では共産党の独裁的支配が続いてきた。かつての文化大革命、あるいは天安門事件における虐殺を考えれば分かるように、中国における大規模な人権弾圧は決して新しいできごとではない。だが、天安門事件の後でさえ、改革開放路線のもとで中国が市場自由化を受け入れるなら、経済発展とミドル・クラスの台頭によって中国の政治も変わらざるをえなくなり、共産党による抑圧もやがては弱まってゆくだろうという観測が国際的に見られた。クリントン政権以後の関与政策の背後には、西側諸国との経済関係が深まり、中国がより豊かな社会に変わってゆけば、中国の政治体制も変わるだろうという期待が込められていた。
その期待は裏切られた。習近平(シーチンピン)氏が国家主席となった後の中国では、胡錦濤(フーチンタオ)国家主席の時代よりもはるかに苛烈(かれつ)な国内社会への統制が日常化した。香港市民による異議申し立てが力によってねじ伏せられ、その意思に反してウイグル族が収容所に追い込まれていることから目を背けることはできない。
ペンス副大統領が昨年10月にハドソン研究所で行った演説に見られるように、トランプ大統領の下でアメリカ政府は中国への全面的対抗を展開しているかのように見える。だが、ペンス氏の言葉にもかかわらず、アメリカ政府の関心は圧倒的に米中貿易問題に集中しており、人権抑圧についての関心はごく乏しい。オバマ政権の下でヒラリー・クリントン国務長官が繰り返し中国の人権状況を争点としたのとは大きく異なる対応である。
念のためにいえば、私は力の行使によって人権弾圧を解消することができるとは考えない。抑圧的な体制を軍事介入によって倒そうとすれば住民の安全を脅かし、生命さえ奪いかねない。特定の政治目的を正当化する手段として人権という言葉が使われたこともあった。
それでもなお、明白かつ大規模な人権侵害を黙認することがあってはならない。かつてアメリカは人権侵害に対抗する国際連携の中心だったが、香港における武力弾圧とウイグル族の強制収容に対する沈黙は、アメリカ政府が人権保障の国際連携から脱落したことを示している。しかし、人権保障は世界の課題である。いかに迂遠(うえん)に見えようとも、人権規範を共有する世界各国、そして中国国民との連携の下において、人権侵害に対する抗議の声を上げなければならない。(国際政治学者)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2019年11月20日に掲載されたものです。