藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)パレスチナの危機 二国家解決、米はかじ切れ

どちらの犠牲者と自分を一体化して見るか、そして戦う勢力のどちらに視点を置くかによって戦争は違う顔を見せる。パレスチナ紛争はその残酷な一例である。
東エルサレムのパレスチナ居住者とユダヤ人入植者との対立が暴力事件に発展した4月13日からひと月余り、イスラエル・パレスチナ地域は戦争状況に陥った。ガザ地区からイスラエルにロケット弾が次々に撃ち込まれ、イスラエル軍はガザへの大規模空爆を繰り返す。エジプトなどによる調停も失敗し、停戦合意はほど遠い。
テレビは、イスラエル軍のガザ空爆を映していた。倒壊した住宅を前にする人々、夜空の向こうに見える炎と煙、通信社の入居する建築の破壊、なによりも多くの児童を含む数多くの遺体。その映像を前にして私は、パレスチナの犠牲者の視点からパレスチナ紛争を見ずにはいられなかった。
別の映像は、イスラム組織ハマスの発射したロケット弾がテルアビブに着弾した光景だった。犠牲者は比較にならないほどガザの方が数多いが、自分の住まいにロケット弾が撃ち込まれてはたまらない。そのとき私は、イスラエルに住むユダヤ人の視点からこの紛争を見ていた。

どちらかに割り切ることはできる。パレスチナ人はイスラエルによって住む土地を追われ、イスラエル軍の圧倒的な力を前に自由も安全も奪われた側ではないか。あるいは、何世紀もの迫害と大量殺戮(さつりく)の犠牲となったユダヤ人は、やっと祖国に戻りながら暴力行使を辞さないテロ組織や国家によって安全を脅かされているではないか。パレスチナ、あるいはイスラエルの視点と自分を重ね合わせ、相手をテロ組織と切って捨ててしまう。思考の単純化だ。
目を背けることはもっと簡単だ。ユダヤ人とパレスチナ人はこれまでもずっと対立してきた、そういう人たちなんだと決めつけ、パレスチナ紛争を頭から追い払う。これは思考の詐術だろう。
私は、このような考え方に賛成できない。戦争から目を背けるのは論外としても、犠牲者を、そして戦争の主体を選んで戦争を見ることは、現実分析としても倫理的にも誤りだからである。
ガザ地区を実効支配するハマスはイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)との和平に反対し、イスラエル支配を武力で覆そうとし、アメリカや欧州連合(EU)がテロ組織と認定した勢力である。イスラエルのガザ空爆がどれほどの犠牲を生み出したとしてもハマスのイスラエル攻撃を正当化することはできない。
また、イスラエルのネタニヤフ首相はユダヤ人入植者によるパレスチナ居住者排除を認めてきた急進派だ。ハマスによるロケット弾攻撃がどれほど無法な暴力であるとしても、今回ガザ地区で行われている空爆はイスラエルに加えられた暴力の規模をはるかに凌駕(りょうが)しており、自衛権の行使として正当化する余地のない残虐な暴力である。
ハマスもネタニヤフ政権も、相手の存在そのものを認めていない。そればかりか、相手が自分たちの存在を認めないことを理由として相手に対する最大限の暴力行使を正当化している。この構図が続く限り、パレスチナ紛争に出口はない。

パレスチナ紛争の背後にはネタニヤフ首相を巡るイスラエルの政治対立と分断、さらにパレスチナ自治政府の非力と腐敗という双方内部の矛盾がある。イスラエル人すべてはネタニヤフ支持者ではなく、パレスチナ人すべてがハマスを支持しているわけではない。だが、現在の紛争拡大は双方の急進派の勢いを強めている。
では出口はあるのか。まず、ハマスとネタニヤフ政権の停戦が直ちに、文字通り直ちに必要だ。さらにパレスチナ国家とイスラエル国家の相互承認を軸とする、いわゆる二国家解決の方針を確認しなければならない。二国家解決を否定するハマスとネタニヤフ政権が生み出した暴力の連鎖を、いま断ち切らなければならない。
双方の停戦合意を促す鍵を握るのは、これまでイスラエル政府の立場を支持してきたアメリカの政策転換である。アメリカがハマスばかりでなくイスラエルの軍事行動を批判し、国連安保理の決議を経て停戦合意を主導し、二国家解決の確認をイスラエル政府とパレスチナ自治政府に改めて求める。オバマ政権が実現できなかったパレスチナ和平の再建である。困難な政策転換だが、ほかの選択はない。
交戦勢力双方が自滅的な行動を続けるとき、どちらかの立場を選択すれば戦争の現実的な認識は失われる。第三者の視点から紛争を捉えた新たな選択肢が必要なのはその時である。(国際政治学者)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2021年5月19日に掲載されたものです。