藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言) 米軍のアフガニスタン撤退 介入による民主化の難しさ
米軍のアフガニスタン撤退は無残な結果に終わった。多国籍軍の駐留の下につくられたアフガニスタン政府軍は、イスラム急進勢力タリバンによる攻勢を前に、消えてしまった。
消えたのは政府も同じだ。国際社会の支援によりアフガニスタンに民主政治が実現したというイメージは政治不安と腐敗のために突き崩されて久しいが、タリバンのカブール進軍が伝えられるのと前後してガニ大統領は国外に脱出した。軍も政府も、雪でつくった花輪のように溶けてなくなった。
この事態を招いた直接の理由は、和平合意なき米軍撤退だ。米軍撤退の前提はアフガニスタン政府とタリバンとの間の和平合意だった。合意なしの撤退が不安定を招く懸念から、トランプ前政権は和平合意の実現を模索した。
だがタリバンがアフガニスタン政府との交渉を拒み、和平協議は難航する。今年7月初めには協議の破綻(はたん)は明らかであったが、バイデン政権は撤退を延期せず、8月末の完全撤退を強行した。米軍の庇護(ひご)を失ったアフガニスタン政府と国軍はタリバンを前に敗走を続けた。
米軍撤退後のアフガニスタン国民は、タリバンのつくる新政権に向かい合うほかに選択はない。タリバンの報道担当者は女性の権利を尊重すると述べたが、約束が守られる保証はなく、人権、ことに女性の権利が奪われる可能性は高い。アフガニスタンはアメリカに見捨てられたのである。
もっとも、米軍撤退がロシア、あるいは中国の台頭を招くと考えるのは早計だ。タリバンは多様な集団から構成され、外国政府の指揮に従った行動を期待することは難しい。国内にイスラム教徒との対立を抱えるロシア・中国にとって、イスラム急進勢力であるタリバンは潜在的には脅威としての側面も持っている。中ロ両国はアメリカの後退を歓迎しつつも、タリバンとの関係強化には慎重姿勢を保つ可能性が高い。
米軍撤退がアメリカの世界全体における影響力後退を招くとも限らない。バイデン政権がアフガニスタン撤退を急いだ背景には、泥沼となった地域介入から米軍を引き揚げ、中国とロシアに対する軍事的抑止力を強化するという戦略があった。抑止のための撤退といえば矛盾して響くが、この戦略は北大西洋条約機構(NATO)諸国や日本も支持しているだけに、アフガニスタン撤退後も同盟諸国は対米協力を維持することだろう。
米軍の駐留が続けばアフガニスタンの平和と民主主義が実現したとも考えられない。多国籍軍の介入がタリバン支配を倒した後に女性教育拡大などの社会革新が生まれたことは否定できないが、その革新はアメリカとその同盟国という、アフガニスタン国民に政治責任を負わない国外勢力に頼るものだった。外国の軍事力と富への依存が続く限り、国際介入によって安定した民主政府をつくることは難しい。
そもそもアフガニスタン介入の目的は民主化ではなかった。2001年9月の同時多発テロ事件を企てたアルカイダを倒すため、アルカイダの活動を認めてきたタリバンとの戦争が始まったのである。テロ以前にアメリカがタリバンによる人権侵害や虐殺に立ち向かうことはなかった。
私はタリバンに幻想を持っていない。権力掌握後、新たな暴力と抑圧が生まれるのだろう。だが、ソ連撤退後のアフガニスタンの破滅的な混乱の中でタリバンが生まれ、勢力を築いたことも忘れてはならない。
1979年の侵攻後、ソ連軍は89年までアフガニスタンに駐留した。2001年から21年までの多国籍軍と合計すれば30年に及ぶ戦乱である。侵略国はその利益と観念に寄り添う統治を模索したが挫折し、やがてアフガニスタンを見捨ててしまった。
侵略者の民主主義もタリバンも信用できない。では、何ができるのか。ひとりの日本人の姿が浮かぶ。難民医療と用水路建設に文字通り命を捧げた医師、中村哲氏である。
ペシャワール会の会報で中村氏は「アフガニスタンでは、異を唱える者がテロリストの烙印(らくいん)を押され、容赦なく抹殺されてきた」と「対テロ戦争」を批判し、日本が「アフガニスタンを破壊した同盟者にならぬことを願うばかりだ」と書いている。
ここにはチェスボードのような軍事戦略も民主化への過信もない。あるのは一人でも多くの生命を救おうという中村氏の志だけである。
微(かす)かな光には違いない。中村氏はアフガニスタンで兇弾(きょうだん)に倒れた。タリバンの権力回復と国内治安の悪化は、ペシャワール会の活動をさらに難しくするだろう。それでも、この地点に立たなければ、平和を語ることはできない。(国際政治学者)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2021年8月18日に掲載されたものです。