藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言) アメリカが始めた二つの戦争 力の過信、終わらぬ代償
2001年9月11日に起きた同時多発テロから20年が過ぎた。20年といえば日本の敗戦から最初の東京オリンピックまでの間より長い時間だから、その間に世界が一変しても不思議はない。それでも20年前を振り返ると、現在の世界との違いは残酷なほど鮮明に見えてくる。
01年の世界はベルリンの壁が倒されてから12年、ソ連の解体を受けて、議会制民主主義も市場経済も、水が高きから低きに流れるように広がってゆくと当たり前のように語られる時代だった。民主主義と資本主義は、将来の願望ではなく現在世界の普遍的現実だと信じられていた。
現実の民主主義と資本主義は政治と経済の制度であり、国民に責任を負った政府と多数者の豊かな暮らしを実現する可能性がある一方で、エリートによる政治権力の寡占と社会階層の格差拡大を招いてしまう危険もある。だが、アメリカとその同盟国にとって民主主義も資本主義も、世界のどの地域においても誰もが望む制度としての普遍性を持つものとされ、地域固有の文脈から民主主義と資本主義を相対化するような視点が取られることは稀(まれ)だった。
民主主義と資本主義への過信を支えたのは西側諸国の圧倒的な軍事力と経済力だった。ソ連解体後のロシアも経済開放を進める中国もアメリカとの協力を対外政策の中心に据えており、アメリカとその同盟国に対抗する可能性を持つ勢力はイラクのフセイン政権やアフガニスタンのタリバン政権など、中東・北アフリカ・中央アジアに残る少数の専制支配か、非国家のテロ集団に限られていた。同時多発テロが起きるまでは、アメリカ本土の人々を殺戮(さつりく)する規模のテロ攻撃の可能性は指摘されることはあっても重視されなかったこともつけくわえるべきだろう。
3千人に近い犠牲者を生んだ同時多発テロに対してブッシュ大統領は対テロ戦争を訴え、アフガニスタンに介入する。介入の目的はテロを引き起こしたアルカイダの打倒であり、間違っても民主化ではない。だがタリバン政権を倒した後に新たな政治体制を打ち立てる必要はあった。アメリカ本土の安全を図るための介入は、安定した自由な国家をアフガニスタンに築くという巨大なプロジェクトに変容する。
力の過信と言うほかはない。さらにアメリカは、アフガニスタン侵攻からさして間を置かず、しかもアルカイダ攻略がまだ難航するなかでイラク介入を計画した。フセイン政権の打倒を目指したこの介入が政治体制の転覆、レジーム・チェンジを目標としたことは疑いを容(い)れない。アメリカは自ら望んで二つの戦争を始めたのである。
01年のアメリカがどれほどその力を過信していたか、改めて驚かされる。以前私は、アメリカにおける力の集中とデモクラシーの奇怪な結合を「デモクラシーの帝国」として論じたことがある。そしてアフガニスタンとイラク介入後のアメリカは、力の過信の代償を払うことを強いられた。
タリバンやフセイン政権の主力部隊は数週間のうちに倒されたものの、戦闘後の体制構築は失敗に終わり、アフガニスタンでは腐敗した上に国外の支援なしには成り立たない政府が生まれ、イラクではイランとの連携が強いシーア派中心の政府が生まれたばかりか、いわゆる「イスラム国」の台頭による熾烈(しれつ)なテロと戦争が発生する。
他方、01年には対米協調で一致していた中国とロシアは、対米協調から競合と対立に舵(かじ)を切る。自由世界の統合などという幻想は霧消し、アメリカと中ロ両国の対立を基軸とする冷戦を想起させるような時代が始まった。バイデン政権によるアフガニスタン撤退も、米軍の犠牲を最小限にするとともに対中・対ロ抑止力を強化する目的から行われた。ここに見られるのはリベラルな国際秩序の構築ではなく、伝統的なヨーロッパ国際政治でお馴染(なじ)みのリアリズムだ。民主主義の拡大という過大な目標を実現できなかったアメリカは、中ロ両国との対抗の中で、古典的なリアリズムに回帰した。
私は民主主義も資本主義も普遍性があると考える。だが同時に、民主主義も資本主義もそのあり方が地域によって大きく異なり、国外から圧力を加えれば構築ができるような制度ではないと考える。地域文脈性と力の限界を無視したリベラリズムは現実から離れたイデオロギーであり、結果として覇権の後退を招いてしまう。
この残酷なゲームはまだ終わっていない。アフガニスタン米軍撤退が無残な結果に終わったことは指摘するまでもないが、撤退後にどのような政府がつくられるのか、またアフガニスタンの混乱が周辺地域にどのように波及するのかという課題が残っている。20年間の戦争によってアメリカは自分の首を絞めてしまった。(国際政治学者)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2021年9月15日に掲載されたものです。