藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言) 欧米諸国対中・ロの緊張 抑止力過信せず、外交模索を
2022年の世界を安定という言葉で形容することは難しい。中国・ロシア両国と欧米諸国との間の緊張が拡大し、台湾やウクライナへの軍事介入が憂慮されているからだ。
米ソ冷戦終結後の一時期、国際政治の専門家の中で、民主主義と資本主義を共有する諸国のもとで世界に安定が訪れたという判断が広がった。国際政治におけるリベラリズムは政治的自由と国際貿易の拡大が国際平和の条件を提供すると主張してきたが、それが既に実現したという考えだった。
学者だけではない。NATO(北大西洋条約機構)の加盟国東方拡大は、自由な政治体制と経済の拡大を逆らうことのできない必然とする判断が招いた選択だった。西側との関係強化による中国の変化を期待するエンゲージメントポリシー(関与政策)にもリベラリズムへの過信を見ることができる。民主政治と資本主義経済というキーワードに世界を還元する単純化されたリベラリズムが、現状分析と政策選択の誤りを招いてきた。
リベラリズムの対極をなす考え方がリアリズムである。国際政治の基本的な特徴が無政府状態である以上、軍事力による国家防衛の外に各国の選択はない。民主主義や資本主義ではなく、国防と抑止が国際関係に安定をもたらすことになる。
これも学者だけの議論ではない。中国とロシアの対外政策はリアリズム抜きに考えられないし、アメリカの対中・対ロ政策が民主主義と資本主義への過信を伴ったとしても、抑止力の確保が放棄されたことはなかった。
米中・米ロの緊張が高まるいま、リアリズムこそが必要だと考える人もいるだろう。だがアメリカが抑止力を強化しても、中国とロシアの行動を変えることは難しい。
中国が台湾を直接攻撃した場合にはアメリカと西側諸国が反撃する可能性は高く、その限りでは抑止力が存在する。だが、抑止戦略は攻撃を阻むことができても相手の行動の変化、たとえば西沙・南沙諸島における中国の軍事的後退は期待できない。さらにアメリカが「ひとつの中国」という立場を公式に放棄すれば外交による緊張緩和の機会は失われ、小規模な紛争が全面戦争にエスカレートする危険性も高まるだろう。
ウクライナをめぐるロシアとNATO諸国の対立はさらに厳しい。ウクライナ国境にロシアが10万人規模の兵力を集結していると伝えられるなか、プーチン政権は東方拡大の停止と東欧からの撤退をNATOに要求した。NATOは要求を拒否したが、プーチン政権が姿勢を変える可能性は低い。ロシアが越境進軍する危険性は高い。
では何ができるのか。素朴な表現になるのを恐れずにいえば、それは外交だ。ここに紹介したような誇張されたリベラリズムもリアリズムも、民主主義の効用や軍事力の効用、そして自分の行動が相手を変える可能性を過大視する点では違いがない。自分の持つイメージをあてはめることに終始して、相手から見える世界に目を向けていないのである。相手の認識に関心を向けない限り外交が成り立つはずもない。他者性を排除して教条化したリベラリズムやリアリズムは紛争解決の役に立たないのである。
ハンス・モーゲンソー(1904~1980)は国際政治におけるリアリズムを早い時期に展開した研究者である。主著『国際政治』(1948年初版、78年改訂5版)においてモーゲンソーは国際政治が権力闘争であるという認識を示し、リアリズムの基礎を体系的に示す一方、軍事力の効用の過大評価も戒め、外交を通した戦争の回避と安定を模索した。交渉機会が乏しい東西冷戦のさなかに外交の必要を訴えることは、力の支配する世界において緊張緩和を模索する実践的な選択であった。
モーゲンソーはリアリストであってもリアリズムの過信や軍事力への希望的観測には陥らず、外交の役割に期待した。対中関係と対ロ関係を考えるときに必要なのはこの視点、可能性の技術としての外交である。
外交とは交渉によって合意する可能性の模索であり、相手の善意への期待や屈服ではない。ロシアから見えるウクライナ、中国から見える台湾に目を向けることは外交の出発点に過ぎない。外交によって合意が得られる保証はなく、交渉に応じたことを利用され、相手に裏切られる危険もある。それでも外交協議の機会を逃せば紛争拡大を阻止できないのである。
米中関係も米ロ関係も著しく緊張が拡大しているが、外交の機会を排除しないという一点に限っては合意していると伝えられている。新しい冷戦の定着を前にした世界に残されたわずかな希望である。(国際政治学者)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2022年1月19日に掲載されたものです。