藤原帰一客員教授 朝日新聞(時事小言) ウクライナ侵攻から2カ月 残酷な戦争、長期化覚悟

プーチン政権がウクライナに侵攻した2月24日から2カ月が経とうとしている。ウクライナ国民の抵抗を前にしたロシア軍は失敗を繰り返し、短期戦の制圧どころかウクライナの首都キーウ(キエフ)周辺から撤退した。いま、東部と南東部に兵力を集めて態勢を立て直したロシア軍は、新たな攻撃を開始している。
これからどうなるのか。三つ可能性があるなか、もっとも公算が大きいのは戦争の長期化である。
停戦交渉は断続的に行われているが、ウクライナとロシアが停戦合意を結ぶ可能性は低い。北大西洋条約機構(NATO)諸国はウクライナへの武器供与を拡大し、直接の軍事介入をすることなくウクライナが持ちこたえ、ロシアに反撃することを目指している。NATOからさらなる軍事支援が期待できる以上、現在の戦況に基づいてウクライナが停戦する意味は少ない。さらに、ブチャを典型として、制圧した地域におけるロシア軍の虐殺、略奪、性暴力が明らかとなった。粗暴な侵略者を前に妥協することは難しい。ロシア軍が全面撤退をしない限り停戦交渉は膠着(こうちゃく)し、戦争が長期化することになる。

第二の可能性は、ロシア側の一方的停戦だ。現在のプーチン政権はウクライナ東部のドンバス地域の安全を戦争目的に掲げ、ウクライナの非ナチ化という当初の奇怪な目標は後回しにしたかに見える。全土制圧の展望が見えないなか、ウクライナ東部への全面攻撃で成果を上げ、ドンバスの安全は確保した、目的は達成したなどと主張して攻撃を一方的に停止する選択がここから生まれる。だが、停戦と撤兵は違う。戦闘は停止しても、ロシア軍がウクライナ東部・南東部から撤兵する公算は小さい。プーチン政権は、クリミア併合はもちろん、二つの自称人民共和国の独立を始めとした勢力圏の確保と拡大は譲らず、そのような停戦ではウクライナの合意が期待できない。
戦闘の休止は次の戦争の準備に過ぎない。西側諸国のロシアに対する経済制裁は継続し、ロシアはウクライナに獲得した地域の軍備を強化し、NATO諸国はウクライナへの武器供給を続けるばかりか、新たな同盟国にスウェーデン・フィンランドを加えて対ロ防衛強化に腐心する。ここで仮に中国の習近平(シーチンピン)政権が中ロの軍事連携を維持したとすれば、米ソ冷戦の時代にも存在しなかった規模における東西の軍事的対峙(たいじ)が生まれてしまう。
第三の可能性が、戦争のエスカレートである。プーチン政権の示唆する核兵器使用の可能性は、NATO諸国による軍事介入を阻むための威嚇と見るべきだろう。安定した核抑止が通常兵器による戦争遂行の合理性を高めるという、国際政治学の「安定・不安定パラドックス」だ。
だが、戦争の目的をウクライナ東部・南東部の安全確保に絞り込んだとしても、通常兵力で既に打撃を受けたロシア軍が、武力によって支配地域を拡大することは難しく、このままでは戦争に勝つことができない。今回の戦争において自軍兵士の安全を顧慮しない作戦を繰り返したことを含めて考えるなら、自軍の犠牲を伴うことを恐れずにプーチン政権が生物化学兵器や核兵器を実戦で使用する可能性が存在しないとはいえない。

NATOは戦争拡大を恐れて直接介入を避けてきたが、ロシア軍による大量虐殺と人権侵害を放置するのか、NATOは飛行禁止区域を設定し、ウクライナを支援すべきだという批判にさらされている。ロシア軍が大量破壊兵器を使用した場合、NATOは直接介入以外の選択を失うことになる。
ウクライナ侵攻がロシア国民の安全が脅かされていないにもかかわらず行われた侵略戦争であり、軍人ではない国民の殺戮(さつりく)と文民施設を破壊した戦争犯罪である以上、侵略されたウクライナ国民を見殺しにすることがあってはならない。他方、戦争がエスカレートし、大量破壊兵器が実戦使用されたなら世界戦争に発展する危険がある。
ここでウクライナの見殺しと戦争のエスカレートの双方を避けようとするなら、NATOはウクライナへの軍事支援を強化しつつ直接介入を回避するほかに選択はないが、ウクライナにおける殺戮が続けば続くほど介入を求める西側各国の国内世論が高まることは避けられない。しかも、たとえ一時的に停戦が実現したとしても、軍事対立は継続し、国際政治における東西の分断は固定化してしまう。
ウクライナ侵略によってプーチン政権はパンドラの箱を開けてしまった。ロシア政府がこの愚かで残酷な戦争を断念して兵力を撤退しない限り、世界は箱の底に残された希望を手にすることができない。この残酷な戦争がこれからも続くことを覚悟しなければならない。(国際政治学者)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2022年4月20日に掲載されたものです。