藤原帰一客員教授 朝日新聞(時事小言) 長い戦争が変える国際秩序 からむ思惑、深まる分断

ウクライナの戦争は長期戦になった。大量の兵器を費消し、兵士と一般市民が生命を失う戦争の継続が見込まれるなかで、国際政治の構図が変わろうとしている。
東部地域に主力を集めたロシア軍は開戦時の劣勢をはね返し、ルハンスク州を制圧する勢いだ。短期戦による戦勝に失敗したロシアは、戦争の長期化を想定した巻き返しに転じ、成果を上げようとしている。
だがウクライナが負けたわけではない。そもそもロシアは戦争の行方を定めるような戦果はまだ手にしていない。時間が経過すれば北大西洋条約機構(NATO)諸国の提供する高性能兵器によってウクライナがロシア軍に対して優位となることも期待できるだけに、侵略者への屈服ではなく侵略に持ちこたえることがウクライナ側の目標になるだろう。
将来の戦況が有利だと双方が考えるとき、戦争終結の展望はない。今後ドイツやフランスなどの諸国は欧州連合(EU)加盟交渉を誘い水として停戦交渉の再開をウクライナに提案するものと見られるが、停戦交渉に応じれば、ロシアが既に併合したクリミアや東部地域の自称人民共和国だけでなく2月の侵攻後に制圧した地域の帰属さえ議題になりかねない。侵略と殺戮(さつりく)を加えた側への譲歩をウクライナ住民が受け入れる可能性は低い以上、極度の戦況の変化がない限り、外交交渉による停戦が実現する見込みは少ない。

戦争の継続は国際政治のあり方を変えようとしている。もとより国際関係には、世界各国が参加し協力して支える国際秩序という側面と、他国よりも軍事的に優位に立つ国家が影響力を行使する覇権秩序という側面の両方が含まれている。覇権国家の存在が国際関係を不安定にするとは必ずしも限らないが、覇権を争う複数の国家によって世界が分断されたならば、秩序の安定ではなく戦乱に向かう危険がある。
第2次世界大戦後の国際秩序としてルーズベルト米大統領が模索したのはアメリカの覇権のもとにおける国際連合を基軸とした体制であった。その希望を阻んできた米ソ冷戦が終結することによって各国の共有するルールに基づいた秩序をつくる機会が生まれたが、実現したのは冷戦時代の国際体制の延長であり、ロシアを含む安全保障の制度化ではなくNATOの加盟国東方拡大にすぎなかった。冷戦期に西側諸国が築いた国際体制は西側諸国の覇権的地位と共に堅持され、冷戦後のロシア、さらに欧米以外の地域の各国にはその体制に従うことが求められた。
中国とロシアが欧米諸国と協力する限り、新たな国際体制をつくらなくても秩序の維持はできる。だが、中国の経済的軍事的台頭と米中関係の緊張、さらにクリミア併合後のロシアと欧州の緊張によってこの構図は壊れ、覇権の競合が復活する。バイデン政権の誕生はトランプ政権における国内重視からアメリカ外交が転換する機会でもあったが、打ち出されたのはアメリカの同盟国・友好国の連携に基づいた中国とロシアとの競合だった。

以前から進んでいた冷戦時代のような東西への世界の分断はロシアのウクライナ侵攻によって一気に進み、固定化されようとしている。
ロシアの侵攻に対する非難とウクライナとの連帯は世界的規模で見られたが、各国の違いは大きい。習近平(シーチンピン)政権のもとで合同軍事演習などロシアとの連携を深めてきた中国は、領土保全原則を強調することでウクライナ侵攻の支持は避けながらも、ロシアへの制裁は強く批判してきた。日米豪との軍事政治連携を強めたインドも対ロ制裁に加わっていない。侵攻後の対ロ経済制裁に加わったのはNATO・EU諸国のほかには日本、オーストラリア、韓国など、アメリカとその同盟国に集中しており、中国やインドはもちろん、ラテンアメリカ、アフリカ、中東、東南アジアの諸国もロシアへの制裁に慎重な姿勢を崩していない。
アジア太平洋諸国の防衛担当者が集うアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)で基調講演を行った岸田文雄首相は、ウクライナは対岸の火事ではないと述べ、弱肉強食の世界への回帰に懸念を表明した。懸念の焦点が北朝鮮と並んで中国であることは明らかだったが、植民地支配の経験を忘れられないと述べたインドネシアのプラボウォ国防相を始めとして、中国との対抗から距離を置く指導者は少なくなかった。
ウクライナ侵攻によって将来のロシアが弱体化することは避けられない。しかし、アメリカとその同盟国・友好国だけをメンバーとする秩序の限界も明らかになってきた。長い戦争が、国際秩序の中心と周辺の間に開いた溝をさらに深めようとしている。(国際政治学者)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2022年6月15日に掲載されたものです。