藤原帰一客員教授 朝日新聞(時事小言) ウクライナ侵攻、半年 引かぬロシア、続く消耗戦

ロシアがウクライナに侵攻してから半年になる。戦闘地域は限られ、世界戦争にはエスカレートしていない。だが、この戦争が招いた国際政治の危機は深刻だ。ロシアと北大西洋条約機構(NATO)の加盟国を始めとした世界各国との消耗戦に発展したからだ。
戦線は膠着(こうちゃく)している。東部では緒戦の敗退から態勢を立て直したロシア軍が勢力を拡大したが、7月以後は戦果が乏しい。南部戦線ではウクライナ軍に勢いがあるが、ロシアの制圧したヘルソンの奪回には至っていない。
攻め込んだロシア軍にとって開戦時よりも支配地域を広げることができなければ侵攻の失敗であり、侵攻を決断したプーチン政権の正当性が問われかねない。攻め込まれたウクライナは、少なくとも2月24日の侵攻開始時点までロシア軍を押し戻すことができなければ防衛の失敗だ。
侵略した国家が領土の拡大に成功すれば、ウクライナばかりでなく世界各国にとっても国際秩序の安定が失われる。NATO諸国にとってロシアとの直接の戦闘への拡大は避けなければならない事態だが、ウクライナを防衛できなければロシアがポーランドなどNATO諸国を侵略する危険が生まれるだけに、ウクライナへの支援継続はNATO諸国の安全確保のためにも必要となる。

ここから生まれるのはロシアとウクライナの戦闘と、NATO諸国を中心としたウクライナへの軍事経済支援が長期にわたって続く状況だ。
戦争の長期化は甚大な犠牲を伴い、交戦勢力の戦闘能力が低下することが避けられない。ロシア軍は武器と人員の両方で優位に立つとはいえ、短期の戦闘による勝利を期待した作戦だけに、大規模な戦闘を長期にわたって展開する準備はなく、既に膨大な兵士と武器を失った。ウクライナ軍はNATO諸国から武器を供給されているが、兵力の消耗は著しいと考えなければならない。ロシア軍が制圧した中南部ザポリージャ原発付近への砲撃が核惨事を招く危険など、戦闘がさらに大きな犠牲を招く可能性も高い。
戦争の犠牲は拡大しているが、戦争終結の展望は見えない。まず、国土と国民を侵略者から防衛するという目標を政府も国民も共有するウクライナ側が戦闘を継続する意思が固いのは自明だろう。ロシア軍の、文民施設すら攻撃対象にした焦土作戦とも言うべき殺戮(さつりく)、戦時捕虜の虐待や非戦闘員の強制移動は、ウクライナ国民の厭戦(えんせん)感情を高めるどころかその結束を強めている。
さらにこの戦争の奇怪な特徴は、ロシア軍も交戦意思がまだ固いことだ。その理由は、戦争の長期化がロシアに有利な状況をもたらすだろうとの期待に求めることができる。一時は低下が指摘された士気は持ち直したようだ。
プーチン政権から見れば、NATO諸国はロシアと戦う意思がなく、ウクライナは軍事的にも経済的にもロシアに劣っている。ここから、NATO諸国を核兵器で脅しながら通常兵器によって軍事作戦を続ければ、ロシアがウクライナに負けるはずはないという期待が生まれる。

NATOがウクライナに次々と武器を補給し、兵士を訓練している現状にあっては、この期待は希望的観測に過ぎない。だが、軍事大国の抱く力の幻想は無視できない。時間が経てば勝てると考えるとき、戦争を断念する理由はないのである。
戦争が消耗戦に陥れば戦争継続に必要な経済的条件が重要になる。ウクライナとその支援国は、ロシアに対する経済制裁によってロシアの戦闘能力が弱まり、さらにロシア国内での厭戦感情が高まることに期待をかけている。
しかし、対ロ経済制裁によってプーチン政権の方針が変わった形跡はなく、政府に反対する国内世論も強まってはいない。中国やインドなどロシアからエネルギーを購入する諸国によって制裁の実効性が弱まることも指摘しておくべきだろう。経済制裁の効果を過大評価することはできない。
ロシアは逆に、エネルギー供給の削減によってドイツを始めとする西側諸国の経済に打撃を加え、ロシアに対抗する国際連帯を弱めようとしている。しかし、ロシアの天然ガスと石油が特にヨーロッパ諸国にとって重要なのは事実であるとしても、資源供給確保のためにウクライナへの支援を見直す諸国が相次ぐという状況は見られない。
私はロシア軍が撤兵しない限り、NATO諸国によるウクライナへの軍事支援と、日本を含む世界各国の対ロシア経済制裁は正当かつ必要だと考える。それでも、ウクライナ支援と対ロ制裁の効果を過大視することはできない。突き放して言えば、この戦争に勝てないとプーチン政権が判断するまで、残虐な消耗戦が続くことになるのだろう。(国際政治学者)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2022年8月17日に掲載されたものです。