藤原帰一客員教授 朝日新聞(時事小言) 新安保政策、欠けた視点 対中国、経済外交の努力を

今年5月に広島で開催が予定されるG7サミット(主要7カ国首脳会議)に先立ち、岸田首相は日本の新しい安全保障政策を各国首脳に訴えた。
新安全保障政策の内容は先に策定された安全保障関連3文書に示されている。そこでは防衛費の上限をGDP(国内総生産)の2%に引き上げ、反撃能力(実質的に敵基地に対する攻撃能力)の保有も盛り込まれた。
これまで安全保障における日本の対米協力は政府の解釈によって制限を加えられてきた。岸田政権は従来の制限を弱め、NATO(北大西洋条約機構)諸国と同様の軍事連携を模索している。基地に対する攻撃能力も防衛費GDP比2%という目安も、NATO加盟国では一般的なものだ。新安全保障政策は日米同盟のNATO化とも呼ぶべき防衛政策への転換である。
岸田首相は国内の合意形成よりも国際的アピールを優先した。英国では自衛隊と英国軍との共同演習の手続きなどを定める円滑化協定を結び、ワシントンではバイデン米大統領と共同声明で日米同盟の現代化を訴え、中国と北朝鮮の国名を明示してその脅威を日米共同で抑止する方針を示した。

米国とその同盟国にとって新安全保障政策は望ましいものだ。バイデン米政権はロシアと中国の双方に対する同盟国の結集を求めてきたが、アジアで対米協力を第一に期待されたのが日本だった。また、NATOはロシアに対抗するためウクライナ支援に力を割かなければならないが、日本が防衛費を増額し同盟国との協力を広げるなら、ウクライナを盾にしてロシアからNATOを守りつつ、中国への抑止力も強化できる。バイデン政権が歓迎するのも当然だろう。
新安全保障政策は憲法解釈によって防衛協力の幅を限定してきた従来の政策を変えるものである。これでようやく日本が「普通の国」になったと歓迎する人はいるだろう。なし崩しに日本を戦争への道に追いやる危険を憂慮する人もいるだろう。
どう考えれば良いだろう。新安全保障政策の背景には北朝鮮と中国に対する軍事的懸念がある。私も、北朝鮮と中国が日本の安全を脅かす存在であり、国民の安全を確保するためには通常兵器による抑止力とその強化、そして日米の同盟を維持することが必要だという認識を共有する。
だが、ロシアと中国の脅威を同列に考えることは適切ではない。プーチン政権はその発足以来、軍事力の行使によって支配地域の安定と拡大を実現してきた。2022年のウクライナ侵攻はクリミア併合後のウクライナ東部進駐に引き続く政策の一環であり、明白な侵略戦争だ。実戦による対抗が現実に必要な状況である。
これに対し中国は、武力行使によって支配地域を拡大しているとは必ずしも言えない。兵器の生産と配備を拡大し、南沙・西沙諸島に軍事的拠点をつくり、香港をはじめとして支配地域に対する独裁的な権力行使を強化しているのは間違いない。台湾に侵攻する危険は現実のものだ。だがその侵攻は、まだ始まっていない。

現在の世界は米国とその同盟国がロシア・中国・イラン・北朝鮮に向かい合い、東西の対立が固定化する情勢にある。そのなかでロシアがウクライナを侵略し、イランと北朝鮮がそれを非公式に支援しているとみられるが、中国は、ロシアとの貿易も軍事連携も続けているとはいえ、ウクライナ侵攻への直接的軍事支援にはまだ踏み切っていない。
ここで必要なのは、中国をロシア側に追いやるのではなく、ロシアから引き離すことだ。中国が台湾、あるいは他の地域に武力行使を行う可能性が高いだけに力による抑止は不可欠であるが、抑止と並んで外交の機会も模索する必要がある。
緊張緩和の手段は貿易体制の安定を通した軍事対立の相対化である。経済的相互依存が平和を保障するとは限らないが、外交の機会は提供する。バイデン政権は対中経済規制には熱心でも貿易政策については見るべきものがないからこそ日本は、経済の安定を基礎とした日中の信頼関係を構築し、紛争の予防に努めなければならない。
抑止力の強化だけで戦争を避けることはできない。しかし岸田政権の新安全保障政策は西側諸国との連携ばかりに目を向けており、外交による日中関係の緊張の打開を模索した形跡がない。これでは日中の緊張がさらに拡大することを覚悟しなければならない。
最悪事態を想定して軍事的対抗だけに走るなら、その選択が対立を加速し、現実に最悪事態をもたらす危険がある。そのような自己充足的予言を避けるためにも経済外交を通した中国との緊張緩和のための努力が求められる。(千葉大学特任教授・国際政治)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2023年1月18日に掲載されたものです。