藤原帰一客員教授 朝日新聞(時事小言) 「夢遊病者たち」の描く予期せぬ戦争 米中経済安保、平和の危機

戦争にはならないだろう。仮に戦争が起こったところで大戦争には至らず、早く終わるに違いない。そのような期待を抱く各国が夢遊病者のように戦争に引き寄せられ、世界戦争に突入し、想像をはるかに超える犠牲と破壊を生み出してしまう。歴史家のクリストファー・クラークが『夢遊病者たち』で描いた、第1次世界大戦開戦の過程である。
昔のこととは思えない。ロシアのウクライナ侵攻から1年が経とうとしているが、東部戦線でロシアの攻撃が拡大し、北大西洋条約機構(NATO)諸国が高性能兵器をウクライナに供給し始めた現在、戦争がNATOとロシアの直接の交戦へと発展する可能性は現実のものだ。
それでもウクライナ侵攻については既に戦争は始まり、それがエスカレートする危険も認識されている。またプーチン政権の行動はリスクを恐れずウクライナを武力で併合する試みであり、比較をするなら第1次大戦よりも第2次世界大戦の引き金となったドイツのポーランド侵攻の方が近い。
むしろ世界戦争の危険を考える上で問題なのは米中関係である。ウクライナにおける戦争の陰で経済的・軍事的対立が加速しているからだ。
既に米国ではトランプ政権が対中貿易関税の大幅引き上げなど中国への強硬策に走り、バイデン政権は同盟国との連携のもと、軍事・経済の両面で中国への対抗を開始した。クリントン政権以後の米国は中国との関係強化が西側諸国と中国の距離を小さくすると期待してきたが、このエンゲージメントポリシー(関与政策)を転換したのである。
国際政治における経済的リベラリズムは、国家の貿易への依存が高まるならばその国家が戦争に訴える可能性は減少すると考えてきた。戦争で貿易が止まれば経済が逼迫(ひっぱく)するからだ。エンゲージメントポリシーは経済的リベラリズムの反映だった。
では、貿易を拡大すれば戦争を防げるのか。歴史的には確証がない。第1次大戦直前の欧州で貿易が拡大していたことはよく知られている。
中国は世界貿易に大きく依存しているが、21世紀に入ると貿易拡大と強硬な対外政策が同時に展開してきた。貿易は紛争を防ぐ要因の一つではあるが、貿易だけでは国際緊張を阻むことができない。
さらに、経済を平和の手段ではなく、安全保障の手段として考えることもできる。
経済的リベラリズムは、経済領域はゼロサムゲームを特徴とする安全保障と異なってゼロサムではなく、相手が利得を拡大しても自国の利得が減るわけではないという前提に立っている。だが、市場におけるシェアに注目すれば経済もゼロサムゲームの空間になる。軍事においても経済においても相手に対する優位を確保する闘争が展開する可能性がここに生まれる。
もし相手国が経済を軍事戦略の手段とし、政治・軍事を結びつけて対外政策を展開した場合、経済政策を安全保障政策の一環に統合し、軍事的対抗と経済的対抗を同時に進めることが合理的選択となる。ここでは経済が軍事対立を和らげる代わりに安全保障の領域が経済に広がるわけだ。経済的リベラリズムとは対極に立つ、経済の安全保障化である。

現在の米中競合は経済の安全保障化に向かっている。トウ小平体制以後の中国は経済成長によって共産党政権を維持してきたが、習近平体制下では経済官僚の力が衰え、経済を政治の手段とする姿勢がこれまで以上に強まった。
他方米国では貿易自由化を基軸とする対外政策が弱まる一方、安全保障を目的とする貿易規制が拡大した。対中半導体輸出規制は自由貿易体制と逆行する選択であるが、米国の安全を図る目的から正当化された。
米国も中国もいま戦争を準備しているとはいえない。しかし、両国が経済政策を安全保障の手段とし、軍事・経済の両面で対抗を強めるなら、外交によって緊張を緩和する機会が狭まり、国家の対立が固定化することになる。
米国が大戦後に築いた秩序の中核には自由貿易があった。日本は軍事力ではなく経済によって大戦後の再建を実現し、トウ小平体制以後の中国は軍事力以上に貿易と経済成長によって大国となった。経済の安全保障化によって経済を軍事対立の延長にしてしまえば、国際政治を安定させる基礎的な条件が壊される結果となるだろう。
貿易は平和を保障しない。だが軍事的対抗と経済的対抗が結びつけば、平和を支える条件が失われる。『夢遊病者たち』の描いた第1次大戦開戦のように、予期しない戦争へと歩を進めることになりかねない。私はそれを恐れる。(千葉大学特任教授・国際政治)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2023年2月15日に掲載されたものです。