藤原帰一客員教授 朝日新聞(時事小言) 対グローバルサウス、日本の役割 信頼生かし、格差是正を

広島での主要7カ国首脳会議(G7サミット)に先だって催された外相会合は、グローバルサウスへの関与を強める方針を確認した。ロシアや中国による非西欧諸国への接近に対抗する選択であるが、このグローバルサウスとは何を意味する言葉なのだろうか。
経済的に豊かな地域は北半球に、貧しい地域は南半球に多い。国際格差を捉えて南北問題という言葉も使われた。グローバルサウスのサウスは南北問題における南と重なっている。
だがグローバルサウスには、発展途上国や第三世界などと異なるニュアンスがある。そこには「豊かな北」が「貧しい南」に向かい合う選択と、その変化が覗(のぞ)いている。
発展途上国は「豊かな北」が「貧しい南」を捉える概念だった。植民地支配から独立した後も経済的苦境にある諸国に対し、1960年代以後の先進諸国は、国内のケインズ主義的政策を国際経済へと広げるかのように、政府開発援助(ODA)の投入を進めた。そこでは国外から公的資金を移転することで経済が貧困から離陸(テイクオフ)することが期待されていた。
政治的な動機も働いていたことは否めない。東西冷戦のさなかにおける経済援助は、植民地から独立した諸国を西側陣営にとどめ、共産圏へと向かわないようにする手立てでもあった。

発展途上国が市場における南北の結びつきを目指したとすれば、第三世界とは北からの自立を求める言葉だった。「南」の諸国は貧しいのではなく、「北」に富を奪われたために貧しくされてきたのではないか。この認識に基づいて、市場の開放や統合ではなく、国民経済の自立と国内市場の保護を模索する諸国が現れる。第三世界は、非同盟諸国会議、そして新国際経済秩序と結びついて用いられる、「貧しい南」の国際連帯のシンボルだった。
国際連帯の成果は乏しかった。中国やブラジルをはじめとする諸国の経済成長は国内市場の保護ではなく、経済開放と国際市場への統合によってもたらされたからだ。世界市場からの自立よりも市場への統合の方が経済発展には有効な政策だった。
だが、「北」から「南」への国際的な所得再分配の試みは後退する。冷戦期の開発援助に政治的な動機が働いていたとしても、公的資本移転による南北格差の縮小は模索されていたが、90年代以後、開発政策は経済開放と規制緩和を軸とした構造調整に転換し、援助よりも自助が求められた。政治哲学者のジョン・ロールズにならって言えば、南北関係における分配的正義の後退である。
21世紀に入っても南北の格差は縮まらなかった。「豊かな北」が「貧しい南」を放置するなかで使われるようになった言葉がグローバルサウスだった。
さらに、グローバルサウスには南の諸国を単なる客体ではなく国際秩序を担う主体として認めるべきだという意味も含まれている。発展途上国という概念は経済の遅れた地域という外からの視点を反映しており、その地域の各国は発展を促される客体ではあっても、国際秩序をつくる主体としての役割は認められていなかった。「貧しい南」を国際秩序の客体から主体に変えたいという願望がグローバルサウスという言葉にこめられていた。

グローバルサウスをしきりに標榜(ひょうぼう)するのは新興経済圏として挙げられるブラジル、インド、中国、さらに南アフリカなどの諸国である。発展途上国からテイクオフしたはずの諸国が「南」を自認するのだから皮肉だが、「南」を客体に押しとどめてきた「北」に対する異議申し立てをここに見ることができるだろう。
ロシアと中国は「北」から取り残された「南」への影響力拡大を模索している。ウクライナ侵攻によって孤立し、主要先進国から圧力を加えられるロシアはもちろん、中国も一帯一路戦略から「三つの世界論」の復活に至るまで、西側優位の秩序に立ち向かう手段として「貧しい南」との関係を強化していった。
G7がグローバルサウスへの関与を強める背景にはロシア・中国との対抗がある。だが、グローバルサウスを中ロとの権力闘争の場にするだけでは分配的正義も社会的協働も達成できない。
ここに日本の果たすべき役割がある。日本は西側先進諸国と規範や制度を共有しつつ、アジア諸国の一つとして、東南アジアや南アジアなどの諸国との間に市場の論理とは独立した信頼関係を築いてきた。この信頼を生かし、「南」の諸国を主体として受け入れるとともに南北格差の是正に取り組み、世界規模における分配的正義と社会的協働の実現を図ること。G7サミット開催国としての日本の役割はそこにあると私は考える。(千葉大学特任教授・国際政治)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2023年4月19日に掲載されたものです。