藤原帰一客員教授 朝日新聞(時事小言) リベラルな秩序の終わり 合従連衡、競い合う勢力圏
ロシアのウクライナ侵攻から1年4カ月になる。この戦争は、そしてこれからの世界は、どのような方向に向かっているのだろうか。
ウクライナはロシアに反攻を開始したと伝えられている。その直前、ウクライナのゼレンスキー大統領は欧州歴訪に続いてG7(主要7カ国)広島サミットに加わり、ウクライナとの連帯を再確認させた。米国もこれまで拒んできた戦闘機提供を認めた。旧ソ連時代の兵器を中心とする戦争はNATO(北大西洋条約機構)諸国の先端兵器による戦争に変わり、兵器が枯渇すればさらなる供給が期待できる。
しかし、ウクライナの反攻は始まったばかりだ。クラウゼビッツの言葉を借りるならそのゆくえは戦場の霧に覆われており、昨年2月の開戦時の状況までロシア軍を押し戻す展望は見えない。
また、米国はウクライナ軍の攻撃力が高まることでロシア本土への攻撃やロシアの核使用など戦争がエスカレートする危険を恐れている。ウクライナを盾にとってNATO諸国の安全を確保することには熱心でもロシアと直接の戦争は避けたい。戦闘機や長射程ミサイルの供与を拒んできた理由もそこにあった。ウクライナに提供する武器の高度化は進むだろうが、米国はロシア本土を攻撃する能力の提供を躊躇(ちゅうちょ)するだろう。
さらに、ウクライナと連帯する諸国はNATOを始めとした米国の同盟国が中心であり、中国はもちろん、南アフリカ、広島サミットに参加したインドやブラジルも、ウクライナ防衛より早期停戦に関心が高い。そのなかで中国が停戦案を提示し、また南アフリカなどのアフリカ諸国もウクライナ・ロシア双方に停戦を訴えた。食糧・エネルギーの供給不安からインフレに至る危機の認識がアフリカ諸国に共有される以上、当然の要請だろう。ウクライナもロシアも停戦案を受け入れていないが、全世界がウクライナを支援しているわけではない。
ウクライナの反攻も停戦合意も時間を要するとすれば、戦争が続くほかにない。第2次世界大戦後の欧州で最大の戦争がなおも続く世界をどう捉えることができるのか。それはリベラリズムの支える世界の終わりと、ポストリベラリズムの時代の始まりではないかと私は考える。
21世紀の初めの世界では、各国政治の民主化によるリベラルデモクラシーの世界的拡大と貿易自由化を通した世界市場の統合が、理想ではなく現実として語られていた。米ソ冷戦終結によって東欧ばかりか旧ソ連も民主主義と資本主義に転換すると期待された。共産党支配の続く中国も独裁を支えるために世界市場への統合を進めた。米国の覇権を基礎として欧米諸国が主導するリベラルな国際秩序の時代だ。
21世紀の初めには当然と思われたようなこの秩序は20年で覆されてしまう。「対テロ戦争」という名のもとのアフガニスタン・イラク介入は欧米の力の優位ではなく、その限界を露呈した。世界金融危機以後の世界経済は貿易の主導する経済成長という構図を突き崩し、欧米諸国のなかでは自由貿易への批判が移民・難民排斥と結びついた右派ポピュリズムの主張となった。東欧、トルコ、インド、そして日本までナショナリズムの高揚とデモクラシーの後退が広がった。
国内消費用のナショナリズムが世界に広がるなか、欧米追随のほかに選択がないと見られたロシアと中国は欧米諸国への対抗に転じた。民主主義と資本主義の普遍性に頼る世界は主権国家の権力闘争に回帰する。リベラリズムの後退したポストリベラリズムの世界では、覇権国弱体化のなかで世界がいくつもの勢力圏に分かれてしまう。価値と制度を共有する欧米も勢力圏の一つに過ぎない。ナショナリズムを鼓舞する権力が国益を求めて厳しく向かい合う。国際関係は国際法や機構ではなく力の均衡、つまり各国が合従連衡を繰り返す空間となる。
世界戦争が不可避だというわけではない。広島サミットではリスクの削減という名の下で、中国との対立が戦争の危機に至ることへの警戒が示された。ブリンケン米国務長官は中国を訪問し、習近平(シーチンピン)国家主席とも会談を行った。米中競合が思いがけない戦争に発展する事態を回避する、紛争にガードレールを設けるような外交である。
だが、ポストリベラリズムの世界が安定に向かう展望はない。米中の緊張緩和はほど遠く、戦争を続けるロシアとの間では核軍縮交渉再開のような紛争予防を実現する糸口も見えない。
リベラリズムを過信した時代は終わった。権力政治の支配するこの世界では、紛争拡大を抑制する外交の機会を模索するほかに選択はない。(千葉大学特任教授・国際政治)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2023年6月21日に掲載されたものです。