藤原帰一客員教授 朝日新聞(時事小言) フランスの暴動 「もう一つの世界」の怒り

暴動直後のパリにいた。
6月27日、パリ郊外でアルジェリア系の17歳の少年が警官に射殺され、反発した群衆がパリやマルセイユなどフランス各地で暴動を起こした。燃え上がる自動車や略奪された商店の映像が報道された。
暴動後の市街は平穏を取り戻していた。気がつくのは人出が少ないことくらい。それでも乗り合わせたタクシーの運転手の言葉が心に刺さった。
運転手は白人ではなかった。伝統を守る日本が好きだ、サムライはいい、そんな会話の向きを変えようとフランス生まれかと尋ねたところ、そうだ、パリ生まれだという。
家族はアルジェリアから来た。親は教育を受けていない。植民地支配下のアルジェリアでは初等以上の教育を受けることができなかったが、フランス生まれの自分は高等教育を受けた。イギリスの学校でも学んだ。
運転手の言葉は激しくなった。テレビは本当のことを伝えていない、いまフランスで起こっていることは植民地支配によって教育を奪ってきた当然の結果だ。日本人ならそれがわかるだろう。早口になるほど車のスピードが上がるのが心配だった。

フランス国家への怒りの表出として暴動を捉え、その背景として植民地支配の代償を考える。サムライ礼賛を別とすれば運転手の話は分析的だった。だがその言葉を貫くのは分析よりも怒りの噴出だった。日本人ならわかるはずだという思いがあるようだった。
テレビは警官に射殺されたのが北アフリカ系の少年であると伝えながら、移民の暴動という形容を慎重に避けていた。これまでも繰り返されてきた警察の暴力への反発、そして貧困、失業、さらに人種差別が暴動の背景にあることも指摘されていた。
他方、暴動と略奪に対する批判は当然のように厳しい。移民を受け入れたから暴動が起こったのだと述べる政治家もいた。フランス国家の統合が失われたという現実認識はあっても、パリの運転手の訴える歴史的な不公正への怒りは共有されていなかった。
似た経験をしたことがある。ハリケーン・カトリーナに襲われた後の米ニューオーリンズ近郊で被災者から聞き取りをしたときだ。聞き取る相手はほとんどがアフリカ系、口が重い人が多いなか、人種問題について尋ねると、消火栓の口を開いたように言葉があふれ出した。ここでも日本人ならわかるだろうという人がいた。
被災後のニューオーリンズでは略奪が横行し、報道の焦点にもなった。背景に米国社会の貧困、格差、人種差別があることは伝えられても、社会から疎外され、周縁に追いやられたことへの日常化した絶望が報道で伝えられることは少なかった。
そこに覗(のぞ)いているのは、社会の多数派が共有する空間とは異なる「もう一つの世界」だった。
マジョリティーは多民族多文化の統合を政治秩序の基礎として誇りながら、その影ではマイノリティーを力で抑えなければ犯罪と暴力に走る法と秩序を脅かす存在として捉えてきた。他方、マイノリティーは警官の発砲など、法と秩序の名の下に無法としか呼びようのない暴力を加えられてきたことへの怒りを抱え、その怒りを社会の周縁に追いやられた歴史と重ね合わせてきた。別の世界が一つの空間のなかに併存しているのである。
マイノリティーの怒りが知られることは少ない。だが、フランスでも米国でも、間欠泉のように抗議と暴動が噴き出してきた。

警官による射殺がきっかけになった点で、パリの暴動は、米ミネアポリスで、アフリカ系のジョージ・フロイドが亡くなった後にわき起こったデモや抗議集会に似たところがある。違いがあるとすれば、フランスの方が暴力の規模が大きいことだ。
フランスの国際政治学者ドミニク・モイジの「『感情』の地政学」(2008年)は、恐怖、屈辱、希望という三つの感情の衝突から国際政治を考察し、同時多発テロ事件以後のテロと「対テロ戦争」の時代を捉えた。無力感と屈辱を共有する空間としてモイジが挙げたのはイスラム圏諸国だが、そのような空間は先進諸国の国外だけでなく、国内にも存在する。マイノリティーの共有する無力感と屈辱が抗議と暴動を引き起こし、その抵抗がマジョリティーの恐怖と力による抑圧を招く構図は、いわば国内政治における「感情」の地政学である。
反抗しなければマイノリティーは忘れられる。反抗すれば力で押さえつけられ、その弾圧がマイノリティーの無力感と屈辱をさらに強化する。パリの暴動は先進諸国の影に隠された「もう一つの世界」の姿を示している。(千葉大学特任教授・国際政治)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2023年7月19日に掲載されたものです。