藤原帰一客員教授 朝日新聞(時事小言) 抑止論がはらむ破綻の芽 核兵器は、排除すべき悪

原爆を開発した中心人物のひとり、ロバート・オッペンハイマーを主人公とする映画がつくられた。同日に全米で公開された「バービー」と合わせて「バーベンハイマー」と呼ばれるなか、バービーとオッペンハイマーの背景にキノコ雲をあしらった画像がソーシャルメディアで流れ、核兵器のもたらす破壊への無知と無関心を示す画像として批判を浴びた。
ここには原爆投下に対する日米の認識の隔たりがある。日本では広島・長崎への原爆投下が核戦争と結びついた時代の始まりとして恐れられたが、米国では原爆が投下されたために日本はポツダム宣言を受諾した、原爆が戦争を終わらせたという議論が行われてきた。キノコ雲は核時代の始まりではなく戦争の終わり、侵略者日本を打ち負かした勝利の象徴だった。
1995年、米国のスミソニアン航空宇宙博物館は大規模な原爆展を企画したが、原爆投下を大量虐殺として描こうとしている、これでは歴史の書き換えだと退役軍人会などから批判を受け、事実上の中止を強いられた。原爆で戦争が終わったと信じる米国民は原爆投下を大量虐殺とする議論を受け入れることができなかった。

戦争を終わらせたことで原爆投下が正当化できるわけではないが、原爆によって日本が降伏したという議論は正確ではない。ソ連の対日参戦が日本政府に打撃を与えたからだ。広島に原爆が投下された翌日にスターリンが48時間以内の対日参戦を決定したように、両者にはつながりがある。それでも日本指導部にポツダム宣言受諾を促した第一の引き金はソ連参戦だった。
映画「オッペンハイマー」は日本で公開されていないが、映画の原作とも言うべき同題の評伝は、ナチスドイツに先を越されぬよう原爆開発を進めたオッペンハイマーが自分たちのつくった兵器の破壊力に衝撃を受け、自分の手が血で汚れたとトルーマン大統領に訴える姿を描いている。
原爆投下後のオッペンハイマーは核兵器の全面的禁止を求め、水爆開発を拒み、それも一因となって国家機密へのアクセスを奪われた。この評伝でも原爆投下の美化や核兵器の容認は見られないが、原爆投下が第2次世界大戦を終結に導いたという解釈は見ることができる。
では戦争における必要悪として核兵器の使用を認めることができるのか。日本への原爆投下は戦時において容認される行動なのか。戦争を終わらせる手段であれば、一般市民の大量殺戮(さつりく)を許すことができるのか。私はそう考えることができない。
いま、核兵器に関する軍備管理協定は廃棄されるか、廃棄の危機に瀕(ひん)している。プーチン政権は繰り返し核使用の可能性に触れ、北朝鮮も核による先制攻撃に言及した。実戦で核兵器が使用されるリスクが飛躍的に高まった。
核の実戦使用を阻むために核兵器が必要だと考える人はいるだろう。核兵器の使用が非人道的だからこそ、核抑止、つまり核による反撃で核使用を阻む選択が合理化されてきた。防衛が目的だという意味づけによって核兵器を必要悪として受け入れるのである。
だが、抑止は破綻(はたん)する可能性を免れない。核で抑止すればロシアや中国が核兵器を使用しないという前提に立つ軍事戦略が緊張を激化し、実戦における核の使用を引き寄せる危険がある。

スミソニアンの原爆展企画から28年が過ぎた。オバマ米大統領に続いてバイデン米大統領もG7(主要7カ国)首脳とともに広島を訪れ、原爆資料館を見学した。G7サミットでは核軍縮に焦点を当てた文書、広島ビジョンも採択された。
しかし、核兵器のない世界を求める広島ビジョンも、現在の国際政治における核抑止は認めている。核兵器の先制不使用や非核兵器国への核兵器不使用、核軍備管理を再建する提案もこのビジョンには含まれていない。必要悪としての核兵器容認を克服する提案と評価することはできない。
では核抑止への依存を克服し、核使用のリスクを引き下げることはできるのか。それが7月に開催された核と国際政治の専門家が集まる国際会議、ひろしまラウンドテーブルの課題だった。その議長として私は核リスク削減・軍備管理復活・核抑止再考を軸とする議長声明を取りまとめた。議長声明は岸田文雄首相に、そしてウィーンで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会に出席したNPT締約国に送られた。
核兵器は必要悪ではなく排除すべき悪であることを確認しなければならない。核兵器が再び使われ、数多くの人命が失われることは絶対にあってはならない。核の使用を阻む選択は、まだ残されている。(千葉大学特任教授・国際政治)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2023年8月16日に掲載されたものです。