藤原帰一客員教授 朝日新聞(時事小言) 自衛権行使超えたガザ攻撃 無法な暴力、放置するな

ガザ攻撃を中止しなければならない。
イスラエルのネタニヤフ政権はパレスチナ自治区ガザ地区住民に南部への移動を一方的に要求し、大規模な空爆を繰り返し、地上軍を投入した。200万を超える住民は電力、水道、医薬品と食糧の供給を断たれ、ガザ当局の発表では死者が優に1万人を超え、国連関係者の死者も101人に上る。いま、ガザのシファ病院に集まった病人、子ども、避難民の生命が危険にさらされている。
ネタニヤフ政権は、ガザ攻撃はイスラム組織ハマスによる攻撃に対する自衛行動だと述べているが、賛成できない。ハマスが医療施設や教育施設に軍事拠点を設けているとするイスラエル政府の主張が仮に事実であるとしても、一般市民に対する移動の強制や民間人と民間施設に対する攻撃を正当化することはできない。
国際法は自衛権の行使を認めているが、その行使には制約がある。国際人道法は受けた攻撃に対する武力行使の規模に均衡性を求める均衡原則と、軍人・軍事施設への攻撃は認めても民間人・民間施設への攻撃は認めない区別原則の二つを基本としている。ガザ攻撃は自衛権行使として認められる行動範囲をはるかに超えており、戦争犯罪との批判を免れないものである。

10月7日のハマスによるイスラエル攻撃と民間人殺傷は2001年の米国同時多発テロ事件と対比された。テロ後の米国を中心とする多国籍軍のアフガニスタン侵攻は自衛権行使の範囲を超え、イラク侵攻はテロとの関係が不明確だったが、世界各国は米国による戦争を止めることができなかった。
アフガニスタンとイラクへの侵攻は、多くの命を奪ったばかりか、侵攻後に過激派組織「イスラム国」(IS)の台頭を招き、米国自身の安全を脅かしてしまった。国際人道法に反する攻撃は不当なばかりか、攻め込んだ国の安全も奪ってしまう。
ネタニヤフ政権の進める戦争はアフガニスタンやイラク侵攻に匹敵する人道的危機を引き起こした。この戦争に反対することはユダヤ人への差別ではない。むしろ、この戦争はイスラエルとそれを支援する米国への批判を強め、反ユダヤ主義を世界的に拡大し、テロリズムを加速する危険がある。
なぜ米国はネタニヤフ政権を支持するのか。その説明としてユダヤ系米国人の政治的圧力、いわゆる「ユダヤロビー」の影響に注目する議論があるが、米国のイスラエル支援を「ユダヤロビー」に還元することはできない。イスラエルと米国の国民を一体とし、イスラエルへの攻撃を米国への攻撃と同視する考え方が、ユダヤ系米国人以外にも広く見られるからだ。
米国国内ではウクライナ支援や中国への対抗よりもイスラエル支援の優先順位が高い。米国のイスラエル支援は、ネタニヤフ政権のガザ攻撃、そしてヨルダン川西岸への入植と土地占拠拡大を容認する結果を招いている。

ハマスもネタニヤフ政権も、相手を武力でねじ伏せることしか考えていない。イスラエルの安全のためにハマスの抹殺が必要だと見る人、逆にイスラエルがあるかぎりパレスチナの安全はないと考える人は、犠牲者の一方しか見ていない。
だが、パレスチナはハマスだけではなく、イスラエルもネタニヤフ政権だけではない。他者の排除を前提とした和平はあり得ない。ここで必要となるのは、ハマスの攻撃によるイスラエルの犠牲者もイスラエルの攻撃によるガザの犠牲者も、共に無法な暴力の犠牲者として見る視点である。
英国統治下のパレスチナに生まれ、米国で長く教鞭(きょうべん)をとった知識人エドワード・サイードは、「オリエンタリズム」で、欧米世界がそれ以外の世界を他者に押し込めた「東洋」という観念に批判を加えた。サイードは「パレスチナとは何か」などの著作でパレスチナの将来を模索し続けたが、彼の見た1993年のオスロ合意は和平とほど遠いものだった。サイードが求めたのはイスラエルとパレスチナという二つの国家ではなく、ユダヤ人もパレスチナ人も互いに相手の存在を認めるひとつの国家をつくることだった。他者の排除を克服する構想である。
サイードが亡くなって20年、パレスチナの情勢はさらに厳しい。パレスチナ人とユダヤ人の共存どころか、二つの国家の相互承認に向けたオスロ合意も空文になってしまった。
ネタニヤフ政権はガザ攻撃を中止し、米国はイスラエル政策を転換しなければならない。実現が難しいことはいうまでもない。だが、このままでは人道的危機が広がるばかりだ。ハマスの無法をもってガザ攻撃の無法を放置することがあってはならない。(千葉大学特任教授・国際政治)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2023年11月15日に掲載されたものです。