藤原帰一客員教授 朝日新聞 (時事小言) 「もしトラ」、危ぶまれる法の支配 権力集中、民主主義の自滅
もしもトランプになったら(「もしトラ」)とか、ほぼトランプで決まった(「ほぼトラ」)などという言葉がマスメディアに広がっている。トランプ前大統領再選が避けることのできない天変地異のように語られている。
州予備選挙を前にした米国ジョージアでトランプが演説した。2020年大統領選挙は不正だったとか越境する移民がわが国を征服しているなどの誤りと誇張に満ちた演説のなかで、見ていて苦しくなったのがバイデン米大統領の物まねだった。バイデンが吃音(きつおん)に苦しんできたことはよく知られているが、トランプは吃音を再現、というより子どもが吃音者をいじめるように、大げさに演じたのである。
体に不自由を抱える人をトランプが物まねするのは初めてではない。それでも、人の苦しみに寄り添うのではなく嘲(あざけ)りの対象にする人間が再び米国大統領になる可能性を考えると、胸が苦しくなった。
2016年11月、トランプが当選した直後に、私はカリフォルニア大学バークリー校で授業をした。人種、民族、性別が多様なクラスの学生が話題にするのは、やはり大統領選挙だった。白人の学生はこんなことが起こるはずはない、理解できないと繰り返した。ラテン系の学生はこれが米国だ、恐れていたことが起こったと冷静だった。米国のデモクラシーはこれで終わりだという学生の言葉が心に残った。
トランプ当選後の日本ではトランプが大統領となることで米国社会と国際政治がどう変わるのか、危惧を訴える声が思いの外に少なかった。トランプに投票した米国人に耳を傾けよという声はあったが、白人ではない米国人に耳を傾ける人は少なかった。
当時の安倍晋三首相がトランプの懐に飛び込むかのようにつながりを強めたため、トランプが大統領でも日米関係は大丈夫だという安心が広がった。日米関係の方がデモクラシーのゆくえよりも大事にされていた。
私たちが民主主義と呼ぶ秩序は法の支配を基礎とする自由主義と、市民の政治参加を基礎とする民主主義が、互いに緊張をはらみつつ結びついた政治秩序である。ここで選挙によって選ばれた政治指導者が、選挙による授権によって法による拘束を取り払って政治権力の集中を試みた場合、自由主義と法の支配は退き、民主主義の名の下で強権的支配が生まれてしまう。
カナダの哲学者チャールズ・テイラーは『マルチカルチュラリズム』のなかで立憲的な政治秩序と民族の優位を基礎とする秩序を対比し、デモクラシー、正義、平等と憲法だけで国家を支えることができないため、より原初的で粗暴なナショナリズムに傾く可能性を論じた。テイラーは、憲法の下で多民族社会の政治統合を試みてきた米国がナショナリズムと白人優位の政治に代わる危険を見据えていた。
立憲的秩序の中核は法の支配と政治権力の規制であり、その秩序が民族優位を基礎とするものに変われば権力制限が弱まることは避けられない。ここに民主政治が独裁に転換する危機が生まれる。
問題は、権力集中を受け入れるばかりか積極的に支持する国民がいることだ。トランプは複数の刑事訴追と民事提訴を受けながらそれらの裁判を魔女狩りだと呼び、検察官や裁判官を名指しで非難している。戯画的なほど法の支配を無視する存在だが、そのトランプに投票する人は実在する。自由主義と法の支配を排除する政治指導者に付き従う国民が、ハーメルンの笛吹き男に従うように、自ら望んで自分たちの自由を放棄するのである。
トランプだけではない。ロシアのプーチン大統領は選挙で選ばれた。現在に近づくほど選挙は形骸化し、獄死したナワリヌイを筆頭にプーチンに対抗する候補は排除された。既に民主政治とは呼べないが、プーチンを支持するロシア国民は存在する。
イスラエルのネタニヤフ首相も選挙で選ばれた。国内の支持が弱まり、政権維持が難しくなったなかでガザ攻撃が展開された。ネタニヤフへの支持は低迷しているが、イスラエル軍への国民の支持は固い。
トルコのエルドアン大統領、ハンガリーのオルバン首相など、民主政治のなかから権力を集中した指導者は数多い。そこでは議会と司法による政治権力の規制、さらにマスメディアによる政治権力の監視が極度に制限された。インドのモディ政権、そして日本の安倍政権においても、マスメディアへの圧力が強められた。
自由主義を排除すれば民主主義は自滅する。「もしトラ」などと観測するだけでは状況追随に終わってしまう。政治権力の監視と法の支配がいまほど求められる時はない。(千葉大学特任教授・国際政治)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2024年3月13日に掲載されたものです。