藤原帰一客員教授 朝日新聞 (時事小言) 米大統領選、「未来」まとうハリス 連帯の喜び、はずむ民主党
米民主党大会が始まった。大統領候補の正式指名のための集会だが、現在の民主党は2カ月前とまるで違う。
2カ月前は、ジョー・バイデン大統領では選挙に勝てないという観測が一般だった。支持率で僅差(きんさ)とは言えドナルド・トランプ前大統領に後れを取り、激戦州の状況はさらに厳しい。トランプとテレビ討論するバイデンは高齢による衰えを隠せなかった。
トランプ銃撃事件後に開かれた7月の共和党大会は成功に終わり、共和党への支持拡大が見込まれた。バイデンでは勝てないが、バイデンが降りても後継の選出で民主党が混乱し、さらに弱まる公算が大きい。民主党敗北は避けがたい宿命であるように見えた。
ところが共和党大会後にバイデンが再選を断念し、民主党は一気にカマラ・ハリス副大統領に結集する。副大統領候補にミネソタ州知事ティム・ウォルズを迎え、激戦5州で開かれた集会では膨大な数の人々が集まった。世論調査でも支持率を伸ばし、全国ではハリスがトランプを2ポイント前後リード、激戦州でもハリス優位かトランプとほぼ互角という情勢である。
私もバイデンでは選挙に負ける、だがバイデンが選挙から降りたなら民主党は次の候補の選任で混乱を続けると恐れたひとりだ。1968年のリンドン・ジョンソン大統領再選断念、ロバート・ケネディ上院議員暗殺、そしてシカゴ民主党大会の大混乱とニクソンの大統領当選を思い出さずにいられなかった。
バイデンの再選断念は、しかし、稀(まれ)に見る政治的結集を引き起こした。バイデンが候補なら大統領選挙ばかりか上下両院も共和党に奪われてしまう。何よりも、トランプが再び大統領になれば民主党ばかりかアメリカ政治が破滅する。その恐怖のために民主党はハリス候補支持にまとまったのである。
落選を恐れる議員が大統領候補を引きずり落としたところで政治が変わるわけではない。現職の副大統領である以上、ハリスがバイデン政権の不人気を引き継いでも不思議はない。
だがハリスは、バイデンより若いうえに女性、そしてアフリカ系の父とインド系の母から生まれ、白人男性のバイデンとは違う。ハリスは与党候補でありながら現状を変革する指導者としての支持を集めた。トランプは過去、ハリスは未来というイメージだ。
実況中継されるハリスの選挙集会は巨大な会場がどこでも人で満たされていた。テーマ曲に選ばれたビヨンセの「フリーダム」が流れるなか演壇にハリスが登場すると、ロックスターのライブのように盛り上がる。バイデンが候補なら考えることのできない熱気があった。
その熱気は、指導者に追随する熱狂ではなく、これは自分たちの選挙だ、自分たちが政治をつくるのだというピープルパワーの熱気であり、結びつきを失っていた人々が社会連帯を再発見する喜びだった。バラク・オバマが大統領選挙に出馬した2008年以後、民主党の集会で見たことのない現象だ。
さらに、トランプの言動がハリスの支持拡大を支えている。ハリスの集会と比べて自分の方が人を集めている、ハリス集会の群衆はAIでつくられた画像だとか、雑誌「TIME」の表紙になったハリスの絵と比べて自分の方が見た目がいいなどと、異様な発言を繰り返しているからだ。
人を集めるのはトランプの特技だった。ニューヨーク五番街で人を撃っても有権者を失わないなどと発言するトランプは、異様な発言にもかかわらず、あるいは異様な発言をするからこそ、支持者を確保してきた。
だが、自己愛が強く、人と自分とを比べずにはいられないトランプは、他者を貶(おとし)めることはあっても自己と他者を含む社会連帯をつくりだすことができない。そして現在の記者会見や集会で繰り返されるトランプの言葉は、乱暴なばかりか、老人の繰り言のように退屈なものになってしまった。
選挙の行方はわからない。まず、トランプ支持層を民主党が奪っているとは言えない。ハリスの支持拡大は女性・若年層・アフリカ系・ラテン系有権者で顕著に見られるが、これはバイデンが取り逃がした民主党支持層を取り戻したものと考えるべきだろう。
選挙でハリスが勝ったとしても、選挙結果を拒む法廷闘争、さらに21年1月6日の議会乱入事件のような暴力を辞さない介入が待っている。もとよりハリス政権がよい政府になる保証はどこにもない。
それでもハリスの登場はアメリカ政治の地殻変動を引き起こしている。暴言と差別と自慢に頼るトランプの賞味期限は過ぎようとしている。他者の排除でなく他者との共存と連帯の機会がわずかに見えてきた。(順天堂大学特任教授・国際政治)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2024年8月21日に掲載されたものです。