藤原帰一客員教授 朝日新聞 (時事小言) 討論会、自滅したトランプ前大統領 人種偏見、これが実像

米大統領選挙まで50日を切った。ジョー・バイデン大統領の断念後に大統領候補となったカマラ・ハリス副大統領は民主党の支持を固め、世論調査では共和党候補ドナルド・トランプ前大統領を全国では僅差(きんさ)で上回り、激戦州でも拮抗(きっこう)している。まだ接戦が続いているが、トランプが勝ちそうな選挙はトランプが負けそうな選挙に変わった。
バイデンと年齢・性別・人種が異なるためもあって、ハリスは現職副大統領でありながら変革を訴える候補というイメージをつくることに成功した。他方のトランプは政策を訴えるよりも自慢とウソ、それも自分の集会に歴史上空前の人数が集まっている、ハリスの集会には誰も来ていないなどの発言を繰り返している。
9月10日に行われたテレビ討論会で、ハリスは民主党政権の防御ではなく、トランプを攻める側に徹した。ハリスは罠(わな)にかけるかのようにトランプが反発しそうな表現を繰り返し、その都度トランプは罠にはまった。ハリスは大統領候補よりも被告を尋問する検事のようだった。
防御を強いられるトランプが繰り返した発言の中でも注目されたのが、オハイオ州スプリングフィールドではハイチから来た移民が犬やネコを食べている、ほかの人のペットを食べているというものだ。市政担当官はそのような事実が報告されていないと述べていると討論の司会者は指摘したが、テレビで見たとトランプは反論した。
ハイチ移民がペットを奪って食べた事実は確認されていない。隣人が人から聞いた話をソーシャルメディアに紹介した人は既にその誤りを認めている。だがトランプはテレビ討論会後に行われた選挙集会でもハイチ移民によるペット略奪をあたかも事実であるかのように繰り返した。

これがトランプだ。今回のテレビ討論会はトランプの自滅で終わったが、それ以上にトランプの実像を米国の有権者に見せつける意義があった。これまで新聞やテレビがトランプの言葉を報道するとき、読者や視聴者の受け入れやすい言葉や意味のある言葉に置き換えられ、わけのわからない言葉が一理ある主張であるかのように伝えられてきた。このようなトランプの「正常化」の結果、実際にトランプが口にしてきた相手への罵倒や虚偽や思いつきが報道され、議論の対象となることは少なかった。
移民によるペット奪取と食用は、しかし、笑い話では終わらない。かつてのアジア系移民に加えられた偏見を考えれば分かるように、犬やネコを食べるというイメージは人種・民族の差別と迫害の典型的な表現に他ならないからである。
トランプは不法移民流入の阻止を求めているだけではない。不法移民が選挙で投票しているという根拠のない主張を行うとともに、法的資格なしに米国に現住する移民の多くを国外に追放すべきだと訴えているからだ。
ハイチ移民の集まるスプリングフィールドは、その多くが合法移民であるにもかかわらず、不法移民大量流入の「シンボル」にされた。既に爆破予告のために市庁舎と学校は一時閉鎖に追い込まれた。
ハリス、さらにはオバマ・バイデン両大統領も、不法移民の流入には強硬策で臨んできた。トランプとの違いは強硬な移民政策をとるか否かでなく、多数派と異なる人種と民族を米国から排除するかどうかである。

多様な人種と民族で構成される米国では、新たな移民によって白人の人口比率は低下してきた。人種差別、さらに性差別の撤廃によって追い詰められたと思い込んだ人々がトランプ支持の基盤を構成している。
トランプの持つ人種偏見は既に明らかとなっている。大統領になる前の1989年、ニューヨークのセントラルパークで女性が殴打・レイプされた事件では非白人5人が容疑者として逮捕されたが、トランプはこの5人を極刑に処すべきだとする広告をニューヨーク・タイムズなどの各紙に掲載した。その後この5人は無罪が確定するが、トランプはいまでも謝罪を拒んでいる。
大統領になった後の2017年8月にバージニア州シャーロッツビルで白人至上主義を掲げる団体とその集会に抗議する人たちの衝突事件が発生した。そのときトランプは、どちらにも責任があると述べ、白人至上主義への批判を控えた。
米大統領選は、追い詰められたと思い込んだ白人と男性を代弁するトランプと、人種・民族・性別の差異を問わない連帯を訴えるハリスとの間の選択であり、他者の排除による政治と、自己と他者を含む市民社会の選択である。トランプの「正常化」に与(くみ)してはならない。(順天堂大学特任教授・国際政治)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2024年9月18日に掲載されたものです。