藤原帰一客員教授 朝日新聞 (時事小言) ポストアメリカの時代 軍拡に走らず、連帯強めて

大西洋同盟が動揺している。
トランプ米大統領は、第1期政権からNATO(北大西洋条約機構)諸国に厳しく、ロシアのプーチン大統領とは友好的だった。
第2期政権発足後、トランプはウクライナの頭越しに米ロ両国主導の停戦を模索する。訪米したゼレンスキー大統領とトランプの首脳会談は決裂し、米国はウクライナへの機密情報提供を一時停止した。
米ロの接近は明らかだった。2月24日のウクライナの領土保全を求める国連総会決議案に、ロシアと共に米国は反対票を投じた。トランプ政権はNATOによるソ連・ロシアへの対抗を基軸とする米国外交を逆転した。
3月2日、ウクライナを含むが米国は含まない18カ国・機関がロンドンに集まってウクライナ支援を継続する有志連合構想を発表し、英仏は30日の停戦を提案した。11日、米国は30日停戦を提案し、ウクライナも合意した。米国によるウクライナへの機密情報の提供も再開された。
ロシアは停戦に応じておらず、戦争の終わりは見えない。さらに大西洋同盟は揺らいだままだ。同盟維持に関心が薄いトランプ政権の下で、米国は覇権国の役割から後退した。米国なしで欧州はウクライナを支援できるのか。米国に頼らない欧州の安全保障は可能なのか。米国が覇権から引いた後の世界、ポストアメリカの課題である。

大西洋同盟だけではない。トランプ政権が対中圧力から逆転して米中協力に転じ、日韓豪との同盟から後退する危険は現実のものだ。
では、各国はポストアメリカの時代にどのように行動するだろうか。
まず考えられるのが自主防衛だ。米国を頼りにできなくなれば独自の防衛力増強を図るほかに選択がないではないか。当然の議論にも聞こえるが、西側諸国の同盟は米軍の強大な攻撃力を主軸としている。各国が自主防衛に努めたところで米軍が後退すれば攻撃力の弱体化は避けられない。
また米国の提供する核の傘、拡大抑止への信頼の弱まりは、各国による核軍拡、さらに核兵器の拡散を引き起こす危険がある。
欧州諸国はロシアに対する抑止力として米国の核戦力に頼ってきたため、米国の後退が核兵器の軍拡と拡散を招く危険も高い。核保有国の英仏が核軍拡を進め、核を持たない諸国は英仏核兵器の国内配備、さらに独自の核開発に向かう可能性もある。
アジアでは、北朝鮮と隣り合う韓国で核武装論がこれまでも繰り返されてきただけに、核の傘の信頼が低下すれば核武装の呼びかけが強まる可能性が高い。現在の日本では核武装論はごく少ないが、中国が核戦力を急増しているだけに、韓国で核武装論が広がれば、核廃絶という国民的合意が動揺する可能性は存在する。
各国が軍備拡大に走れば国際関係は不安定になる。新たな核保有国の登場は軍事的緊張を高めることが避けられない。ポストアメリカが新たな戦争の時代のはじまりになりかねない。

では何ができるのか。米国が後退すれば、世界各国がつながりを強めるほかはない。
軍事面では欧州諸国と日韓豪三国の防衛協力が必要となる。これは米国との協力に代わる選択ではない。米国の力に過度に依存するこれまでの同盟を長期的に支えることに無理があったとしても、米国を排除することには意味がない。必要なのは本来の意味における集団的安全保障であり、主権国家の領土、そして市民の安全と自由が武力によって奪われることのない持続可能な多国間秩序を支えることだ。
安全保障と並んで、経済における多国間貿易と国際機構における法制度の維持が必要になる。ここで重要なのは、軍事侵攻を阻む防衛力は確保しつつ、経済では開放性を維持し、軍事対立のエスカレーションを阻止すること、特に中国との戦争を絶対に避けることである。
米国の覇権からの後退には過去の先例がある。ベトナム戦争末期のニクソン・ショックである。
ニクソン米大統領の訪中とアジアの米軍削減は日本に衝撃を与えたが、そこから東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国との経済外交が生まれ、国交正常化後の中国との外交に発展する。変動相場制への移行も国際通貨体制における日本の役割を拡大した。ニクソン・ショックは多国間協力の中における日本の影響力を強める機会となった。
米国が引くとき、日本の役割が増える。大国だからでも優秀だからでもなく、日本は多国間秩序のチームプレイヤーだからである。日本はポストアメリカの世界における多国間協力を支えなければならない。(順天堂大学特任教授・国際政治)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2025年3月19日に掲載されたものです。