藤原帰一客員教授 朝日新聞 (時事小言) イスラエルのイラン攻撃 核開発、武力で阻止できぬ
いま攻撃すれば、戦争に勝てる。軍事力で優位にある、あるいは優位にあると思い込んだ政治指導者が、仮想敵国に先制攻撃を加えた先例は、朝鮮戦争や第3次中東戦争、ロシアによるウクライナ侵攻など、少なくない。イスラエルによる6月13日未明のイラン攻撃もそのひとつである。
イスラエル首相ネタニヤフは当初、イラン攻撃の目的としてイラン核開発の阻止を掲げ、イスラエルの自衛行動として正当化した。イランによる核開発の危険は以前から指摘されており、国際原子力機関(IAEA)理事会も6月12日にイランが核不拡散義務に違背しているとの決議を採択している。だが原子力施設への攻撃は国際法に違反する。さらに今回の攻撃対象には市街地の民間施設が数多く含まれている。核開発阻止だけでなく、イラン政府の弱体化と打倒、レジーム・チェンジを目標とする戦争である。
攻撃の直前、イランに先制攻撃を加えて勝利を収める機会が訪れていた。既にパレスチナ自治区ガザはイスラエル軍の攻撃によって灰燼(かいじん)に帰し、レバノン南部を事実上支配するヒズボラも弱体化した。シリアではイランと結びついてきたアサド政権が崩壊した。イランの軍事的影響力は後退していた。
イランはロシアとの戦略的パートナーシップに合意し、兵器も提供してきたが、ロシアがイラン防衛を約束したわけではない。ロシアはウクライナとの戦争が優先課題であり、イスラエルがイランを攻撃してもロシアがイスラエルと戦う可能性は低い。
米国の圧力を恐れる必要も少なかった。ジョージ・W・ブッシュ政権以来、米国はイランの核開発を阻みつつ、イラン攻撃は回避するようイスラエルに牽制(けんせい)を加えてきた。トランプ政権も核開発制限交渉をイランと開始した点では従来の政策を引き継いだ面がある。だがトランプは第1期政権においてイラン核開発制限6カ国合意から離脱しており、これまでの政権と比べてネタニヤフ政権支持の姿勢が明確だった。
ここから、イスラエルがイランを攻撃しても米国はイスラエルに圧力を加えない、それどころかイラン攻撃で戦果を上げたなら後追いするかのように米国はイスラエルを支援せざるを得ない、ネタニヤフ政権がそのように期待できる状況が生まれた。イラン攻撃についてどこまでイスラエルが米国に具体的な情報を伝えたのかわからない点は多い。だが、トランプ政権がイラン攻撃を阻む努力をした跡は少ない。
イラン攻撃がイスラエル国内におけるネタニヤフ首相支持を高めることも期待できた。イスラム組織ハマスによる民間人虐殺と人質連れ去りに対抗するガザとレバノン南部への攻撃はイスラエル国民の多くから支持されてきたが、終わりの見えない戦争を前に国民の支持は弱まり、連立政権の維持も危ぶまれていた。
イラン攻撃はネタニヤフ首相の政治的延命の戦争だった。ロシアによるウクライナ侵攻がプーチンの戦争であったように、イラン攻撃はネタニヤフの戦争だった。
イスラエルはイランよりも優位に戦争を進めるだろうが、ネタニヤフの期待する勝利がすぐ訪れるとは考えにくい。米軍との協力がなければミサイルによる攻撃だけで核施設すべてを破壊することは難しい。トランプ政権がイスラエルとの共同軍事行動に踏み切ったとして協力する範囲はわからない。
さらに、体制打倒を目指す戦争は相手の国民を結束させてしまう。ミサイル攻撃による民間人の犠牲は、イランの現体制に反対する国民をも現体制への支持に追いやる可能性がある。
核開発阻止と停戦は相反する目標ではない。仏ルモンド紙への寄稿において、ノーベル平和賞受賞者ナルゲス・モハンマディなどイラン反体制派知識人7人は、イランのすべてのウラン濃縮活動放棄と、イスラエル・イラン両国によるインフラ施設攻撃と文民虐殺の停止を求めた。
16~17日、カナダで開かれたG7サミット(主要7カ国首脳会議)の共同声明は地域の不安定の主な原因はイランであるとし、イスラエルによるイラン攻撃の批判を避けた。サミット後の米国は改めて核開発放棄をイランに求めるだろうが、イスラエルと共同でイランを攻撃する可能性も高い。
イランの核開発を認めてはならないが、武力で攻撃すれば協議によって核開発を阻止する可能性は失われてしまう。日本の岩屋毅外相はイスラエルによるイラン核施設攻撃について、軍事力が用いられたことを遺憾とした。私はこの立場を支持する。
ネタニヤフの始めた戦争は世界各国を巻き込んで拡大しつつある。日本政府は戦争のエスカレートの阻止を世界各国に求めてゆかなければならない。(順天堂大学特任教授・国際政治)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2025年6月18日に掲載されたものです。