藤原帰一客員教授 朝日新聞 (時事小言) 経済対立からグランド・バーゲンへ 米中「取引」、台湾に及ぶなら
トランプ第2期政権が発足してから1年を迎える。この政権の対外政策は何だろうか。
第一は孤立主義だ。米国は西半球の外に関わるべきではないという孤立主義の主張は第2次大戦と米ソ冷戦によって過去のものとなった。だが自由貿易と同盟は米国に過大な負担を課しているという批判は繰り返され、トランプ政権の下で一気に拡大した。
12月5日に発表された「国家安全保障戦略(NSS2025)」はグローバリズムと自由貿易を批判し、同盟国や友好国は防衛負担を米国国民に課し、米国にとって意味の乏しい紛争に米国を巻き込んできたと主張した。孤立主義の復活だ。
直ちに影響を受けたのが米国と欧州諸国との関係である。NSS2025はウクライナ防衛ではなく戦争の終結を優先課題に掲げ、ロシア・ウクライナ戦争の終結を求める欧州市民の声が欧州各国の政策に反映されていないと非難している。NATO(北大西洋条約機構)諸国の安全ではなく米国の安全を第一とする以上、大西洋同盟は弱体化せざるを得ない。
孤立主義と並ぶ特徴が勢力圏の構築である。孤立主義には米国の国際関係からの離脱に加え、北米・南米に対する域外からの干渉を排除する意味もある。モンロー主義は西半球における米国の優位を求める概念でもあった。
トランプ政権の孤立主義は西半球における勢力圏の構築と表裏の関係に立っている。NSS2025はモンロー主義に言及し、西半球における米国の優位の回復を訴えている。北米・南米の諸国が米国の優位を受け入れることは当然の前提であるかのようだ。いま米国がベネズエラに加えている軍事的圧力も、西半球における勢力圏構築の一環と見ることができる。
では他の大国に対して米国はどのように向き合うのか。ロシアについてはウクライナ侵攻の責任を問わないばかりか、対ロシア防衛が欧州諸国の課題とされ、戦略的優先順位も西半球とインド太平洋地域より低い。米国にとってロシアは主要な敵ではなくなった。
トランプ政権から見れば小国であるウクライナが大国ロシアと戦うことは無理な選択であり、米国が関わる必要がない。米国はいま、ロシアよりもウクライナに対して圧力をかけることでウクライナの停戦実現を試みているが、これは米国がウクライナを含むロシアの勢力圏を認める方向に向かっていることを示している。
中国はどうか。中国の軍事的脅威を強調したバイデン政権と異なり、トランプ第2期政権は対中政策の重点を経済に置き、米中の軍事的競合については米国の関与よりも同盟国の軍備増強を優先してきた。
NSS2025は中国との経済的競合について詳細に言及し、稀少(きしょう)資源やサプライチェーンにおける対中依存を弱める経済安全保障を力説している。ここでは国際貿易と経済的相互依存が相手の行動を変える武器とされている。相互依存の拡大による軍事緊張の緩和を期待したかつての対中関与政策とは正反対だ。
だが、現在のトランプ政権は対中経済圧力の強化よりも米中の合意形成に政策の基軸を移している。それはなぜか。相手の行動を変える手段に経済を使う強制外交は対立関係にある国家に対して有効性が低い。まして中国のように競争力が高い相手国に関税戦争のような圧力を加えても効果は少ない。米中経済関係は対立から限定的合意の模索に変わらざるをえなかった。
東アジアの軍事状況についてNSS2025の記述は少ない。台湾に関する紛争を抑止する必要は指摘されているが、同盟国の防衛負担拡大を強く求めつつ、中国の軍備拡大や軍事戦略については中国という国名を明示した批判が見られない。
かつてチャールズ・グレイザーは、米国が台湾防衛から手を引き中国は東アジアにおける米国の安全保障上の役割を認めるべきだと主張し、これをリアリズムに基づいた大国間の取引、グランド・バーゲンと呼んだ。
では米国は中国の勢力圏を認めるのか。トランプ第2期政権はまだ台湾防衛から手を引いてはいない。だが経済については、既に強制外交から米中二国のグランド・バーゲンへと政策を変えている。
NSS2025は台湾海峡における一方的な現状変更を認めないとしており、従来の東アジア政策を基本的に踏襲している。それでも米中のグランド・バーゲンが台湾に波及し、米国が台湾防衛を放棄する可能性は無視できない。ウクライナを含めたロシアの勢力圏を認めるように、台湾を含めた中国の勢力圏を米国が認めた時、日米同盟による日本の防衛の基礎は崩れてしまうだろう。(順天堂大学特任教授・国際政治)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2025年12月17日に掲載されたものです。