• コラム

    藤原帰一 未来ビジョン研究センター長/法学政治学等研究科教授

SDGs、高まる関心 「国境越える」可能かも

 世界の現状を憂慮する文章を書き続けてきた。悲観的な見通しがうれしいわけではない。放置すれば悪化する情勢を伝えることが目的だった。
 このコラムで最近取り上げたテーマ、米中関係、日韓関係、イギリスEU離脱を並べるなら、各国国内におけるナショナリズムの高揚のために国境を越えて協力する機会が奪われてしまうという共通点があることに気づく。国境を越えて考えるなんて机上の空論に過ぎないという世界の姿である。
 だが、誰もがナショナリズムに溺れ、国境のなかだけから世界を考えているわけではない。国際連合の掲げる持続可能な開発目標、SDGsをめぐる議論は、国境を越えて世界を考えることが少数派の夢想ではないことを示している。
 SDGsとは、2000年に国連の首脳会議が採択したミレニアム開発目標(MDGs)の後継として、2015年に国連で開かれた首脳会議によって採択された2030年までの長期的活動方針、国際社会共通の17の目標のことを指している。なかでも注目されたのは気候変動への具体的な対策を求めたものであるが、そのほかにも貧困と飢餓の撲滅、健康と福祉、教育、ジェンダー平等、平和と公正など、数多くの目標が掲げられており、それらの大きな目標の下にはその目標をさらに具体化した169に上るターゲットが挙げられている。現代世界の抱える課題を列挙したような内容といっていい。

 どれをとっても頷(うなず)ける内容だが、最初に見たとき、実現は難しいだろうと考えたことを告白しなければならない。その前に掲げられたミレニアム開発目標は、実現しなかったばかりか、そんな目標を国連が打ち出したことさえ知らない人が大半のままで終わった。国連に関わる人がクリスマスツリーのように飾り立てた多彩で意欲的な活動目標に世論の関心が集まるとは、私には考えられなかった。
 不明を恥じるほかはない。日本政府はすべての閣僚をメンバーとするSDGs推進本部を立ち上げ、SDGs達成に向けたアクションプランを発表している。財界でも、経団連は革新技術によるSDGsの実現をSociety 5.0 for SDGsとして掲げ、6月に開催される主要20カ国・地域首脳会議G20に先だって経済界の提言をとりまとめるBusiness 20(B20)を開催し、SDGsの実現を提唱した。個々の企業をとっても富士ゼロックスから吉本興業まで、SDGs推進に関わる会社は数多い。
 政府や財界ばかりではない。朝日新聞は「クローズアップ現代」のキャスターを長く務めた国谷裕子氏をナビゲーターとして「2030 SDGsで変える」と題する企画などを続けてきた。東京大学も新設の未来社会協創推進本部の目標にSDGsを掲げており、私がセンター長を務める未来ビジョン研究センターはその活動の一翼を担っている。共有できる、また共有すべき未来の姿としてSDGsはすでに定着しようとしている。

 いつもは仲がよいと限らない政府と企業と朝日新聞と東大が同じ目標に賛同するというこの現象は、なぜ起こったのだろうか。第一の理由は課題の緊急性だ。地球環境の温暖化がもたらす危機的状況について情報が共有されたからこそSDGsも支持を受けたといってよい。また企業については、環境、社会、企業統治に配慮するESG投資が定着したことも挙げなければならない。
 だが、緊急を要する課題に誰もが積極的に関わるのなら、核兵器はとっくに廃絶されているはずだ。SDGsについて注意すべきは、経済的に立ち遅れた発展途上国に援助を行ったり政策を求めたりするような性格を免れなかったミレニアム開発目標と異なり、先進工業国を含む世界全体の目標としてこれが掲げられていること、さらに国境を越えた協力と結束なしにはSDGsの実現は不可能であるとの認識が共有されていることである。
 目標が共有されれば世界が変わるわけではない。SDGsを求めるのなら、なぜ日本における再生可能エネルギーへの転換は進まないのか。ジェンダー平等がSDGsに含まれていることは認識されているのか。SDGsを掲げながら国連の活動の焦点である発展途上国の状況にはなぜ関心が集まらないのか。地球環境の温暖化を否定する政府があることも見逃せない。
 それでもSDGsへの関心が集まっていることは歓迎すべきだろう。国際関係とは国家と国家が衝突する空間に過ぎないというリアリズムを越えた、国境を越えて協力することへの責任感がここにある。これを幻で終わらせてはならない。

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2019年4月17日に掲載されたものです。