藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)米の全方位脅迫政策 対イランは軍事的危機
トランプ大統領のアメリカでは外交交渉と脅迫が同じものらしい。第一の例が中国との貿易紛争である。
劉鶴(リウホー)中国副首相が訪米する直前の5月5日、トランプ大統領は中国からの輸入品の関税を25%に引き上げる方針をツイートによって発表し、劉鶴氏とロバート・ライトハイザー米通商代表の協議がまだ終わらない10日に引き上げを実施した。協議は決裂し、中国政府は13日に報復関税を発表した。
中国への圧力を歓迎する声もあるだろう。中国が市場自由化を進め、知的所有権の国際的合意に従い、不正な情報流出を阻止することは、日本をはじめ世界各国の多くにとっても望ましい変化だからだ。だが、関税引き上げの圧力は中国ばかりでなく欧州連合(EU)や日本にも加えられている。友好国か否かを問うことなく、アメリカの求める条件を相手に突きつける。全方位脅迫政策と呼ぶほかのない一方的外交である。
外交交渉には脅しがつきまとうとしても、やはり外交とは当事国が受け入れ可能な合意を探る過程である。トランプ政権は、圧力をかけて譲歩を求め、求める提案を受け入れなければさらに圧力を加える方法に終始してきたが、脅しを強めたところで中国がアメリカに譲歩する保証はない。圧力に屈したならば国内の反発を招く危険があるために、どれほど不利益であっても中国が妥協を拒む可能性が残されるからである。米中貿易紛争が長期化する懸念は拭いきれない。
もっとも、貿易紛争によって世界経済が崩壊すると予測するのは気が早いかもしれない。「ニューヨーク・タイムズ」電子版の5月11日付のコラムでポール・クルーグマンが述べるように、貿易紛争の招く短期的なリスクがやや過大評価して伝えられている。米中両国による報復関税の応酬は株価の下落、商品価格の上昇、そして貿易縮小を招くだろうが、そのために世界金融危機のような市場崩壊が直ちに発生するとは限らないし、米中戦争の危機が訪れたわけでもない。短期的な経済崩壊よりも長期的な貿易体制の流動化のなかで米中貿易紛争を捉えるべきだろう。
米中関係よりも短期のうちに世界の安定を揺るがしているのが、イランに対するトランプ政権の政策である。
2015年、国連常任理事国5カ国にドイツを加えた6カ国は、イランとの間で、核開発の制限と引き換えに経済制裁を段階的に解除する合意を結んだ。多国間交渉による核拡散の防止としては例外的な成果である。国際原子力機関(IAEA)も、イラン政府は合意を概(おおむ)ね遵守(じゅんしゅ)していると、今年2月の報告で評価を下している。
だがトランプ氏はイランとの核合意から脱退し、まだ合意に参加している5カ国を含む諸国にも経済制裁への協力を求め、今年4月末には中国・インドなど八つの国と地域に対してこれまで限定的に認めてきたイラン産原油購入さえ認めない方針に転じた。アメリカの経済制裁に各国を巻き込んだのである。
一方的圧力のなかでイラン指導部は譲歩するどころかかつての強硬路線に回帰し、核合意履行の一部停止を発表したが、これに対して米国は、中東地域の米軍が危険にさらされているとの理由からイラン近海に空母まで派遣した。イラン情勢は一触即発の軍事危機にまで悪化している。
意味のない脅迫である。イランが強権支配のもとに置かれ、シリアなどに軍事介入を行ったことは事実だが、ボルトン米安全保障補佐官が指摘するようなイラン側の軍事的エスカレーションは現在のところ確認されていない。北朝鮮は米朝首脳会談の後も核削減を拒み、ミサイル実験を再開したが、その北朝鮮ではなく、核合意をほぼ遵守したイランに対して一方的に圧力を加える理由は理解を絶するといわなければならない。
シリアへのミサイル攻撃は行ったものの、トランプ政権になって始まった戦争は、これまでのところ、ない。だが、脅しに頼り続ける限り、脅しても行動を変えない相手に対しては力を行使する必要が生まれる。
米中貿易紛争は軍事力の行使に発展する段階にはないが、イランは違う。経済制裁のさらなる強化ばかりでなく、アメリカが軍事介入にまで訴える可能性も無視できない。すでにサウジアラビアの石油タンカーが損傷を受けたという情報のために、イランを取り巻く国際的な緊張が高まっている。
トランプ政権は、一方的な脅迫ばかりに頼ることによって、国際関係の安定を揺るがしている。だが、安倍政権はトランプ政権との協力を重視する外交に終始してきた。日米関係を堅持するだけではアメリカとともに日本も世界から孤立する懸念があることを銘記すべきだろう。(国際政治学者)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2019年5月15日に掲載されたものです。