藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)イラン危機拡大の構図 米の威嚇、効果乏しく

 イラン情勢が緊迫している。安倍首相がイランを訪問しているさなかの6月13日、オマーン沖で日本企業の運航する1隻を含むタンカー2隻が爆発による損傷を受けた。
 アメリカのポンペオ国務長官もトランプ大統領も、タンカーを攻撃したのはイランだと述べた。5月にタンカーが爆発物による被害を受けたときもボルトン安全保障補佐官がイラン政府によることが確実だと断言した。
 だが、わからないことは多い。米軍はタンカーに横付けされた船の映像を公表し、イランのイスラム革命防衛隊が不発に終わった水雷を回収する現場だと主張したが、これだけでその結論を下してよいのかわからない。イラク戦争に至る過程で公表されたイラクの大量破壊兵器開発の「証拠」が誤っていたことを振り返ってみれば、結論を急ぐわけにはいかない。
 とはいえ、革命防衛隊が実際にタンカー破壊工作を行った可能性も残る。民間船舶への攻撃を認めてならないのはいうまでもない。さらにイラン政府はシリア内戦でアサド政権、イエメン紛争では急進勢力フーシ派に支援を与えてきた。どちらもアメリカがイランとの6カ国核合意を離脱する前から続いてきた行動だけに、トランプ政権が圧迫したためイランが強硬策に転じたとばかりはいえない。

 問題はその先にある。イランに最大限の圧力を与える政策がイランの転換を生み出すか、ということだ。
 攻撃的とも見えるイランの中東政策への懸念は、アメリカのトランプ政権ばかりでなくドイツやフランスなど核合意に加わった各国に共有されてきた。両者の分かれ目は、イランへの懸念ではなく状況を打開する方法、すなわち経済制裁の部分的解除と引き換えに核開発の制限を認めさせるのか、全面的な圧力を加えるのかという選択であった。イランとの核合意は、まず核兵器の開発を放棄させ、その信頼醸成を基礎として中東におけるイランの政策の転換を期待するものだった。
 私は、核開発の制限をまず進め、そこからさらにイランの政策転換を求める選択は、正しい選択だったと考える。体制転換を求める恫喝(どうかつ)の効用は少ないからだ。
 イランでは政府と並んで革命防衛隊も権力を保持し、独自の軍事組織を擁している。そのイランの現体制打倒を目的として経済制裁を加えても軍事介入の可能性を示威しても、イラン政府の譲歩は期待できない。仮にタンカー攻撃を革命防衛隊が行っていたとしても、経済制裁や武力介入の威嚇がもたらす効果はごく限られたものに過ぎない。
 トランプ大統領はイランとの戦争は望んでいないと発言しているが、イランがどのような政策をとれば圧力を弱める意思があるのか、その出口を示さなければ戦争を避けることはできない。タンカー攻撃に先立って空母を派遣するなど米軍のプレゼンスを強化し、安倍首相がイランを訪問する直前に新たな経済制裁を発表し、タンカー事件の後には米軍兵力を増派するなど、現在のアメリカ政府の行動は、イランを軍事的に挑発しているとしか考えられないものばかりだ。

 最大限の圧力を加えながらイランの行動を変えることができないなかで、アメリカは、イランへの武力行使以外の選択を失ってゆくだろう。サウジアラビアやイスラエルのように、米軍介入を期待する諸国があることも否定できない。周辺諸国との関わりにおいてシリア内戦はイランとロシアという軍事的には弱い側が勝った戦争であり、武力において勝るサウジ、イスラエル、そしてアメリカにはイランを軍事的に圧倒する誘惑が残ってしまう。
 ホルムズ海峡安全通航の保障などの言葉を聞くと、かつてのイラン・イラク戦争におけるタンカー戦争を思い出さずにはいられない。結局タンカー戦争に米軍は介入するが、イランの抑制には効果が乏しかった。既にイランも核合意から部分的に離脱し、低濃縮ウランの貯蔵量が合意の定める条件を超えようとしている。イランの核開発が全面的に再開される危機のなかで、現在のように限定された紛争が中東規模の戦争に発展する危険は無視できない。
 このたびの安倍首相によるイラン訪問がアメリカとイランの緊張緩和に成功したとはいえない。トランプ大統領のメッセージを届けるだけであればイラン指導部の譲歩を得ることができないことも明らかだろう。だが、サウジとイスラエルだけに頼る中東政策にアメリカが陥り、イランへの武力行使に流されてゆく状況を放置してはならない。外交の安倍を誇るのであれば、日本はさらにイランとの緊張緩和のイニシアチブを取る責任がある。(国際政治学者)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2019年6月19日に掲載されたものです。