藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)実戦使用まであと「2分」 待ったなしの核軍縮
いま世界の核兵器をどのように考えるべきだろうか。一方には、核兵器は廃絶すべきだという議論があり、他方には安全保障のためには抑止力としての核が必要だという主張がある。核兵器に関する議論の多くは、この正反対の立場の間で行われてきた。
だが、差し迫った危険として核兵器を見ていない点において、この二つの主張には共通点がある。核廃絶を求める者は廃絶が難しいことを自覚し、核抑止を求める者も現実の戦争で核兵器が使われる懸念には目を向けない。核戦争は遠い将来の可能性として考えられている。
専門家の見方はこれとは違う。核兵器を管理する体制が近年著しく弱まっており、大国の軍事戦略における核兵器への依存、さらに核兵器が実戦で使用される可能性さえ高まっていると考えられているからだ。
核問題の専門誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」は、核戦争による破滅までどれほど近づいたのか、真夜中まで残された時間によって示してきた。2018年以来、この時計は真夜中まで2分を指したままだ。1953年からこちら、核戦争に最も近づいているという厳しい判断である。
どうしてだろうか。まず、アメリカに比べて通常戦力で劣るロシアが核戦力への依存を高めている。既にロシアは中距離核戦力(INF)全廃条約に違反すると懸念されるミサイルを配備し、ミサイル防衛を突破する超高速ミサイルの開発も進めている。さらにINF条約の当事国ではない中国が新世代ミサイル開発を進めたため、INF条約の意味は損なわれていた。
2018年2月に公表された米国核態勢見直し(NPR)はオバマ政権の発表した10年版と対照的に、核戦力がアメリカの防衛戦略において果たす役割を強調する内容となった。特に注目されるのは、巡航ミサイルへの核弾頭搭載再開と低威力核兵器の開発である。ここでは抑止力の強化ばかりでなく実戦における使用可能性も射程に入っている。
今年8月のトランプ政権によるINF条約離脱はこの流れのなかから理解することができるだろう。INF条約は米ソ両国の核兵器削減、さらに米ソ冷戦終結に向けた展開の始まりであったが、その核管理体制の礎が失われてしまったのである。
米ソ冷戦終結後、米ロ両国の核戦力削減が進むとともに国際政治の課題として核兵器を捉える視点は後退し、核兵器を用いないという国際的な合意、核タブーが既に形成されているという議論さえ生まれた。オバマ大統領はそのプラハ演説において、慎重な表現とはいえ核兵器のない未来について語った。その流れはいま逆転した。ロシア・中国両国とアメリカとの軍事的緊張が高まるなかで、核兵器への依存が復活しようとしている。
では何をすべきか。今年8月、日本、アメリカ、中国、ロシア、オーストラリアなど各国の専門家が広島に集まり、ひろしまラウンドテーブルが開催された。私が議長として加わった今回のラウンドテーブルでは核軍縮の破綻(はたん)に対する懸念が共有され、会議の終わりには議長声明に加えて、4点の緊急声明が発表された。
緊急声明の要旨は、INF条約が事実上失効した後も各国が最大限の自制を保つこと、米ロの新戦略兵器削減条約(新START)を5年間延長すること、包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効まで各国が核実験の自制を続けること、そしてイラン核合意を保持することである。これらはいずれも、INF失効による米ロ両国の核軍拡競争の拡大、21年に期限を迎える新STARTの失効、アメリカによるCTBTからの離脱、そして核合意の破綻によるイラン核開発再開という、まさにいま進みつつある現実を踏まえた提言である。間違っても遠い将来に実現すべき課題ではない。
ラウンドテーブル後に行われた講演、ひろしまレクチャーにおいて、オーストラリア元外相ギャレス・エヴァンスは、核軍縮は不可能な夢なのだろうかと問いかけた。川口順子元外相と共に核不拡散・核軍縮に関する国際委員会の共同議長を務めたエヴァンスはいわば核軍縮に生涯を捧げてきたといってよい政治家であるが、ただ核廃絶の理念を掲げるだけではなく、核軍縮を実現するために必要な具体的政策を常に示してきた人だ。そのエヴァンスが、抑止ばかりでなく核が実戦使用される危険を訴えたのである。
核戦争は決して遠い将来の危険ではない。日本政府は、緊急の政策課題として核軍縮を実現しなければ現在の平和が失われるという緊張感のなかで核兵器の削減に努めなければならない。(国際政治学者)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2019年9月18日に掲載されたものです。