藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)コロナ後の世界の力関係 危機脱する速さで明暗
新型コロナウイルスが流行するなか、コロナ後の世界、ポスト・コロナの展望を書いてきた。だが、この切り口は誤っていたのかも知れない。流行が収まらず、ちっともコロナ後にならないからだ。
米ジョンズ・ホプキンズ大学の集計によれば、世界全体の感染拡大はまだ続いている。日本でも6月初めには1日50人を下回っていた検査陽性者が6月末から増加し、7月10日には全国で430人の感染者が発表された。日本では死者の急増は見られないが、アメリカではフロリダ州やカリフォルニア州などで感染者が急増し、死者数も増加に転じた。
ロックダウン、日本なら緊急事態宣言の解除が早すぎた可能性は高いが、再びロックダウンを行うリスクも高い。感染者も死者も増えているなかでアメリカのコロナ対策はうまくいっていると言い放つトランプ大統領の判断は論外と評するほかないが、ロックダウンの結果、小売業を始めとする経済活動も学校など社会活動も苦難を強いられた。規制再開へのためらいがそこから生まれる。
結果として、パンデミックが収束からほど遠いにもかかわらず社会活動の規制は解除に向かうという奇怪な状況が出現した。これではコロナ危機が収束に向かうなかのウィズ・コロナではなく危機の長期継続としてのウィズ・コロナになってしまう。ロックダウンや緊急事態宣言によって失われた雇用はゆるやかに回復に向かうとしても、パンデミックが続くなかでは国内需要が後退した状況が継続し、失業も高止まりする。規制を解除しても経済回復を見込めないのである。
政治への影響も大きい。11月に予定されているアメリカ大統領選挙を例に取るなら、トランプ大統領の再選には黄信号が点(とも)った。アメリカ政治では、一般に経済が後退するときには与党への支持も後退した。第2次石油危機後の1980年、あるいは世界金融危機のさなかの2008年大統領選挙で与党候補が敗北したのはその例である。世論調査を見れば、民主党大統領候補にほぼ確定したジョー・バイデンは支持率においてトランプ大統領を9ポイントも引き離している(Real Clear Politics、7月9日)。決して強い候補とは言えないバイデンが選挙で優位に立った理由がコロナ危機と経済の悪化であることはほぼ疑いがない。
さらに、いつコロナ危機から脱却するか、そのスピードが各国によって異なることにも注意しなければならない。感染拡大の止まらないアメリカ、ブラジル、インドでは脱却の展望が見えない。イギリスやイタリアなどヨーロッパ諸国では感染者が減少したが、各国の死者が厖大(ぼうだい)な数にのぼるだけに再建の道は厳しい。
他方、コロナ危機からの早期脱却が見込まれるのが中国である。パンデミックの始まりが武漢だっただけに意外に思われる点であるが、中国では感染拡大は3月にはほぼ終息している。発表された死者総数4634人はエクアドルのそれよりも少ない。
こうして、アメリカやヨーロッパではコロナの影響が続く一方で中国がコロナ危機から脱却するという構図が生まれる。サプライチェーンが寸断された世界経済は、停滞が見込まれる欧米諸国ではなく、中国を主軸とした再建に向かうことになるだろう。コロナ後の世界における中国の経済的影響力は以前よりもさらに高まることが予測される。
コロナ危機後に力を増した中国は諸外国の影響を恐れる必要がこれまでよりも少なくなっている。中国の香港国家安全維持法は分離独立活動、反政府行為、テロ、さらに外国勢力との結託を禁止することで香港における一国二制度を実質的に廃棄したものであるが、その実施は国外の批判を顧慮しない習近平指導部の強硬姿勢を示しているものといってよい。貿易ではアメリカに譲っても国家主権に関わる事項では譲らないのである。
香港における民主化運動が衰えたわけではない。今月11、12日に行われた香港民主派が立法会候補を選ぶ予備選挙には予想を大きく上回る60万人が投票した。米議会が可決した香港自治法案を始めとして中国政府に対する批判も強く、米中関係は大統領選挙の争点になろうとしている。だが、中国政府が国際的な批判を顧慮した形跡はない。
既に米中両政府の対立は激しさを加えているが、政治経済における中国の力がこれまでになく強まる一方、アメリカの力は弱まった。アメリカの衰退と中国の台頭とは言い古された形容であるが、コロナ危機が継続するアメリカとポスト・コロナの中国の対照は、この形容が現実のものになろうとしていることを示している。(国際政治学者)
*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2020年7月15日に掲載されたものです。