藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)政治家と嘘 民主主義下でも日常に

安倍晋三首相が退陣を表明し、新たな自民党総裁に菅義偉氏が就任した。菅政権の外交政策はどうなるのかなどを議論するべきところだろうが、そのような議論よりも前に気になることがある。政治における嘘(うそ)である。
まず、トランプ米大統領は嘘をつく。既に当たり前になったこのことを、ボブ・ウッドワードの近著『Rage(怒り)』は改めて思い知らせてくれた。
ウッドワードはワシントン・ポスト紙でウォーターゲート事件を暴露したジャーナリストだが、近年ではアメリカ大統領に関する著作で知られている。やはりトランプ政権を論じた前著『Fear(恐怖)』では大統領本人に聞き取りをできなかったが、『Rage』ではトランプに18回の録音を伴うインタビューを行った。
そのなかに、2月7日午後9時、トランプがウッドワードの家にかけてきた電話が紹介されている。トランプは習近平中国国家主席との会談に触れ、会談では主としてウイルスについて話した、このウイルスは空気感染をする、インフルエンザよりも致死的(deadly)だ、5倍も致死的かもしれないとウッドワードに語った。
トランプが何を書くかわからないウッドワードとインタビューを繰り返し、自分から電話までかけた理由はわからない。だが、ここでトランプの語るコロナは、公に言ってきた「インフルエンザのようなもの」としてのコロナとは明らかに違う。3月19日のウッドワードとのインタビューでは、パニックを起こしたくないので軽く見せたかった(play it down)とトランプ自身が認めている。
新著刊行に先立ってトランプの肉声を公表したこともあってウッドワードの暴露は広く報道された。「軽く見せた」間に20万人に近いアメリカ国民が生命を失ったのだから当然の反応だが、トランプの嘘はコロナウイルスに限ったことではない。大統領選に立候補した2015年以来、明らかな虚偽を繰り返し述べ、その虚偽を指摘されると嘘の報道、フェイクニュースだと言い返すのがトランプの日常だった。

日本では、安倍政権の下で、森友学園への国有地払い下げ、加計(かけ)学園の岡山理科大学獣医学部新設、あるいは桜を見る会への招待者などに関連して、公式の説明との違いが疑われるたびに公文書の紛失などが繰り返された。国有財産の処分や大学学部の新設と総理主催の会合とでは事案に著しい違いがあるが、総理や官邸の説明に合わせて官庁が公文書を書き換え、廃棄しているという疑いは共通している。
トランプ政権と安倍政権に見られるのは、権力を握った政治家は虚偽を指摘されてもそれを認めなければ虚偽を「事実」に変えることができるという確信である。嘘だという方が嘘をついていると言い張り嘘をつき通せば、嘘は嘘ではなくなるわけだ。ナチスドイツやスターリン体制下のソ連、あるいは中国などの全体主義ではなく民主政治の下でも、政治における嘘が日常となってしまう。

半世紀近く前の1971年、ベトナム戦争に関する政策決定過程の政府文書、いわゆるペンタゴンペーパーズがニューヨーク・タイムズによって暴露された。後に書籍として公刊されたこのペンタゴンペーパーズについて、政治哲学者ハナ・アーレントが「政治における虚偽」という文章を発表している(高野フミ訳『暴力について』所収)。この文章においてアーレントは「虚偽と自己欺瞞(ぎまん)の連結作用」を指摘し、「嘘をつくのが上手で、大勢の人を信じさせることに成功すればするほど、ついには自分の嘘を信じるようになるものだ」と述べた上で、実情はさらに厳しく、「嘘つきたちは自己欺瞞からスタートしている」と指摘し、「大衆の心を捉える戦いに全般的な信頼と勝利を予期しただけだった」と喝破している。全体主義に生涯立ち向かったアーレントは、全体主義における歴史の書き換えや「自分のイデオロギーに合致しないデータを抹殺する能力」を厳しく批判してきたが、政治における嘘が民主政治のもとにおいて広がる危険にも目を向けていた。
嘘に従えば自由を失う。嘘をつき通すことができるという確信に基づいて他者ばかりでなく自分も欺く政治は、「基本的な政治的自由」、アーレントの言葉を借りるなら「もしもその自由が失われた場合には、言論の自由が残酷なごまかしに堕してしまうもの、つまり、ありのままの事実を知る権利」を脅かすのである。
政治権力や党派性が「事実」を覆い隠す時、政治権力から自立した言論と報道なしには政治的自由が失われる。嘘を阻むには「ありのままの事実」を伝えることで立ち向かうほかはない。(国際政治学者)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2020年9月16日に掲載されたものです。