藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)米大統領選後の対中国政策 国際連携へ転換のとき

大統領選挙は、トランプへの不信任投票だった。
まだ一部の開票が残され、次期大統領が就任する来年1月まで間があるが、トランプが大統領に留任する可能性は小さい。全国の得票ではバイデンに550万票も離され、激戦州ペンシルベニアはもちろん手作業による再集計の続くジョージア州でも万を超える票差がある。2000年大統領選挙におけるゴアとブッシュのフロリダにおける票差537とは比較にならない。トランプはソーシャルメディアで選挙の不正を訴えているがそれを支える証拠は乏しく、選挙結果が覆る見込みはない。
それでもトランプ支持派は首都ワシントンで11月14日に大規模な集会を開き、選挙不正を訴えた。トランプが勝ったと信じ込むその人なりの理由があるのだろう。たとえそれが人の自分を騙(だま)す能力を示すものでしかないとしても、である。

日本でも、バイデンよりトランプの方が日本国民の利益にかなうという主張が広がっている。バイデンでは中国を抑えることができない、何をするかわからないトランプが必要だという議論だ。
その背景にはオバマ前政権の中国政策への懸念がある。初期のオバマ政権は、協力を強めることで中国の政策を変えるという、クリントン大統領時代の関与政策に通じるアプローチを取った。南シナ海から尖閣諸島に及ぶ中国の力の拡大が生まれたのはオバマ外交のためだ、その時代に戻ってはならないという判断がそこから生まれる。
さて、そうだろうか。
トランプ政権のもとで日米豪にインドを加えた4カ国の連携が進み、今年11月には合同軍事演習も行った。とはいえ南沙・西沙諸島における中国の拠点確保は一貫して続き、軍事戦略が変わった形跡は見られない。
貿易については関税引き上げを手段として圧力を加えたために世界貿易への懸念を生み出し、日韓中とASEAN(東南アジア諸国連合)10カ国などがこのたび結んだRCEP(地域的包括的経済連携)への道を開いた。他方、ウイグル族への人権弾圧や香港における国家安全法施行後の強権発動などこの4年間における人権侵害については、この政権の関心は乏しかった。
現在の中国が国内で独裁を強め、国外では軍事覇権に走ることを私は悲しむ。だが、トランプ政権の対中強硬策は、中国における独裁と覇権への傾斜を強めてしまったとも考える。
ではどうすればよいのか。19年7月、「中国は敵ではない」と題するトランプ大統領と議会への書簡が、賛同する数多くの研究者と実務家の名前とともにワシントン・ポスト紙に掲載された。現在の中国政府による人権弾圧や攻撃的外交政策を批判しつつアメリカ政府の対中政策は情勢をさらに悪化させるものだと指摘し、必要なのは経済と安全保障において目的を共有する諸国との堅固な連携だと訴えている。賛成だ。

国際政治の分析は希望的観測に走ってはならない。門戸を開けば中国が変わる、圧力を加えたならば中国が怯(ひる)むなどという期待は、自分が行動すれば相手が変わるという希望の裏返しに過ぎない。必要なのは、中国の現実を見据え、何は受け入れることができないかを明確に認識し、相手の行動が短期間には変わらない可能性も想定しつつアメリカを含む世界各国が共同して中国に向き合うことだ。
その国際連携は軍事協力を伴うとしてもあくまで防衛と抑止に留(とど)め、緊張をエスカレートしてはならない。また中国が国際協力と国際体制のなかで活動を模索するときにも、ただ歓迎するのでなく国際体制の原則や規範の遵守(じゅんしゅ)を中国に求めなければならない。
このように書くと机上の空論のように響くかも知れないが、実は日本政府もそのような行動を取ってきたのである。RCEPは、TPP(環太平洋経済連携協定)よりもやや緩い条件の下で中国を含むアジアの貿易自由化を図る試みだった。その過程では中国政府との微妙な折衝が続いたことがうかがわれる。それでもRCEPを中国主導の合意と貶(おとし)めることは誤りだろう。日本だけでなくASEAN諸国と韓国も含む多国間秩序だ。
大統領就任後のバイデンはトランプの下で著しく弱体化したNATO(北大西洋条約機構)の再結束とロシア政策の転換などヨーロッパに力を注がなければならないだろう。だが、日本に必要なのはバイデン勝利への失望や新政権への警戒ではない。必要なのは、バイデン新政権が国際体制を通した中国政策への転換を進めるべくアメリカに働きかけることである。一面的な対中強硬政策への期待から離脱すべき時が訪れている。(国際政治学者)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2020年11月18日に掲載されたものです。