藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)「トランプの4年」に耐えて 民主政治、首の皮一枚

トランプ政権の4年間は、いわば民主主義のストレステストだった。選挙で選ばれた政治指導者はどこまで政治権力を自分のもとに集め、議会や裁判所のチェックアンドバランスを退けることができるのか。自分のこと以外には一切関心のない特異な人物が大統領となったために、民主政治の限界が試されてきた。
大統領選挙は制度に則して実施された。投票と開票、各州における選挙結果の報告と承認、そして今回行われた538人の選挙人による投票、どこをとっても不正工作の跡はない。
だが、トランプは敗北を認めないばかりかアメリカの歴史上で最も腐敗した選挙だと不正を訴え、自分は大差をつけて大統領に当選したと主張した。トランプ支持者は各地で不正投票排除の訴えを起こし、選出された者と異なる選挙人の選定も州議会に求めた。ほとんどの訴えが退けられた今も、裁判の継続をトランプは訴えている。
これは次の大統領選に出馬する布石などという戦略ではない。負けを認めたくないトランプが大統領に居座ろうとしているだけだ。そして手段を選ばない。事実は何であろうとも自分が選挙に勝ったことにして、そのウソが現実となるように虚偽の発言と強引な権力行使を繰り返すのである。

いかに当選を主張しても、トランプがホワイトハウスに居続ける可能性は無視できるほど小さい。だがトランプは、バイデンは不正行為によって大統領を僭称(せんしょう)している、ほんとうの大統領は自分だと言い続け、少なからぬアメリカ国民もそれを支持するのだろう。
暴力によらない政治権力の交代を制度として保障することは民主主義の本質だ。選挙結果を政治家が認めなければこの制度は壊れてしまう。自分の負けた選挙を認めないことでトランプは民主政治の根幹を揺るがした。
議会共和党はトランプに従った。不正投票を示す証拠がなく、選挙結果を覆す規模の集計漏れも見つかってはいないのに、テキサス州司法長官はジョージア、ミシガン、ペンシルベニア、ウィスコンシン4州の選挙結果の無効を求める訴えを起こした。この異様な訴えに対し、共和党下院議員の過半数にのぼる126人が賛成している。忖度(そんたく)どころではない。トランプに迎合しなければ共和党下院議員でいることができない現実がここに示されている。
だが、大統領だからといって何でもできるわけではない。まず、軍が自律性を保った。警官の暴力によって黒人のフロイド氏が死んだことに起因する全米抗議運動を前にしたトランプは連邦軍出動を求めたが、エスパー国防長官は従うことを拒んだ。後にエスパーは解任されるが、いかに最高司令官であっても米軍が大統領の無法な指示に従うことはないことを示す事件だった。大統領留任のためにトランプが連邦軍の出動を求めたとしても、それが実現される可能性はない。

各州における選挙管理もおおよそ政治的中立を保つことができた。ジョージア州のケンプ知事は、大統領から批判と罵倒(ばとう)を浴びせられながら、選挙の集計結果を覆さなかった。トランプに従うばかりかに見えたバー司法長官でさえ、選挙結果を覆す不正は見つかっていないと述べた。
さらに裁判所の役割がある。トランプ陣営の提起した訴訟は各州の裁判所でも連邦裁判所でもほとんどが却下された。トランプ政権の下で3人の判事が就任し、保守派が多数を占めている最高裁判所も、4州の選挙結果無効を求める訴えを却下した。
証拠もなく国民の投票を排除するなどあってはならないことだから裁判所の判断は当然だが、トランプから見れば州知事や裁判所が自分に従わないことこそがあってはならないことなのだろう。トランプの名を一躍有名にしたテレビ番組の決まり文句「首だ!」(You’re fired!)の通り、トランプは意に沿わない閣僚を解任してきたが、オーナー社長が社員の首を切るように州知事や裁判官を首にすることはできない。大統領個人の利益では左右することのできない民主政治の岩盤が、ここにようやく見えてきた。
大統領に就任したトランプはチェックアンドバランスを度外視した権力集中と行使を続けてきた。私は、民主政治はどこまで独裁に近づきうるのか、いつも考えずにはいられなかった。恐るべき4年間だった。
それでも、無法な権力者であっても壊すことのできない法と制度はアメリカに残されていた。確かにトランプが大統領だと信じるアメリカ国民は残るだろう。トランプ留任を阻む者に暴力を加える人さえ出てくるかも知れない。だが、権力者の恣意(しい)が左右することのできない制度は存在した。アメリカの民主政治は、首の皮一枚で保たれた。(国際政治学者)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2020年12月16日に掲載されたものです。