藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)トランプ政権の爪痕 「ウソ」が広げた分断

自分の首を絞めるような政権の終わりだった。
前回のコラムを書いたのは、トランプ陣営による不正選挙の訴えが裁判所からほぼすべて却下された後だった。証拠と呼べるような証拠が提示されなかったのだから当然だが、トランプが次に何をするのかはわからなかった。
トランプは大統領職に最後までしがみついた。ジョージア州上院選決選投票で応援に駆けつけながら演説は選挙不正に終始し、2議席を失った。上下両院合同会議において選挙人承認を排除するようペンス副大統領に求め、要請を拒まれるとホワイトハウス前の群衆に議事堂への行進を呼びかけた。
トランプは議事堂に入るために暴力を使えという発言は行っていない。それでも、議会によるバイデン承認を阻むことを目的として議事堂集結を群衆にけしかけたことには疑いがない。民主政治の手続きを踏まえない大衆的な圧力の行使を現職の大統領が促したのである。呼びかけに応じた群衆は議事堂に向かい、その一部は暴力を使って乱入した。
死傷者も生まれたこの事件は、トランプの政治的影響力に決定的な打撃を与えた。再開された上下両院合同会議は正式にバイデンを次期大統領として承認し、その後に下院は2度目の大統領弾劾(だんがい)決議を行う。大統領に留任するためには手段を選ばなかったトランプも民主政治の制度と手続きを覆すことはできず、逆に民主政治を否定する者という烙印(らくいん)を押されたのである。

トランプは自滅した。だが、トランプを支持した人々は残っている。
2020年大統領選挙は、民主党、あるいはバイデン候補の勝利というよりは、トランプ政権への不信任投票だった。問題は、過半数に及ばなかったとはいえなぜトランプが7400万人を超えるアメリカ国民の支持を集めたのかという点にある。
アメリカ社会の特徴でもあったミドルクラスが両極分解したことがまず挙げられるだろう。過去40年の間、アメリカ社会の経済格差が拡大し、ことに中位層における所得の伸びが低迷したことは広く指摘されている。所得が停滞するなかで雇用を奪われることを恐れた有権者が移民流入と自由貿易に反発するという構図は、アメリカばかりでなく欧米諸国におけるポピュリズムにおいても一般的なものだ。グローバリズムへの反発と自国優位のナショナリズムの根底にはミドルクラスの分解があった。
アメリカ政治社会の分断にも目を向けなければならない。少なくとも1990年代以来、アメリカの政治社会は大都市・多人種多民族の民主党地域と白人を主とする小都市農村の共和党地域に分かれてきた。アメリカは人種、民族構成、政党支持の異なる二つの地域に割れてしまった。
トランプ政権はこの分断のなかから生まれ、分断を加速した。黒人男性が警官の暴力のために亡くなったあと抗議行動が全米に拡大したが、トランプは人種ではなく法と秩序の問題という視点を崩さなかった。トランプを支持しない者にとってこの視点は人種差別であるが、支持者から見れば抗議行動が法と秩序を脅かす暴力にほかならない。

メディアの変化がミドルクラスの分解と政治社会の分断を固定化してしまった。アメリカのマスメディアはメインストリームとフォックス・ニュースなど保守メディアに分かれて久しいが、ツイッターやフェイスブックを始めとするソーシャル・メディアによって、自分の賛成する議論や言葉ばかりを選ぶことのできる言語空間が生まれた。お風呂につかるように耳あたりのよい言葉にはまり込む空間である。
トランプの最大の武器はツイッターだった。公然とウソをつき、そのウソが暴露されたら相手を嘘(うそ)つき呼ばわりするというトランプが繰り返してきた行動は責任ある統治とはとてもいえないが、トランプ支持者にはトランプを非難する側こそがウソばかり並べているように聞こえることになる。
ほんとうとウソの違いが信条や立場の違いと重なれば、何がほんとうなのかもわからなくなってしまう。1月6日の議事堂乱入は、不正選挙で権力を奪った者から政治を取り戻そうとしていると信じ込んだ人々の引き起こした事件だった。
トランプのついたウソはいまなお力を振るっている。ピューリサーチセンターが議事堂乱入事件の後に行った調査によれば、共和党支持者の64%はトランプが大統領選挙に勝ったと考えている。事実に背を向け、不正によって自分たちの大統領を奪われたと信じ込む人々に向かって政策を、さらに言葉を届けることができるのか。これがバイデン次期大統領の直面する課題である。(国際政治学者)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2021年1月20日に掲載されたものです。