藤原帰一教授 朝日新聞(時事小言)ミャンマーと民主主義 日本が優先するべきは

ミャンマー国軍がアウンサンスーチー国家顧問とウィンミン大統領の身柄を拘束してから2週間余りが経った。旧首都ヤンゴンなど各地で抗議デモが連日続くなか、軍は装甲車と兵士を市街地に展開したと伝えられている。
1986年2月、ピープルパワー革命によるフィリピンのマルコス政権崩壊は、東南アジアばかりでなく世界的にも民主化へのうねりを告げる事件だった。翌年には韓国、6年後にはタイの軍政、さらに98年にはインドネシアのスハルト政権が崩壊する。アジア地域における権威主義体制は消えてゆくかに見えた。
強権支配が残されたひとつはミャンマーだった。88年以後に民主化運動が広がり、90年総選挙ではアウンサンスーチーを指導者とする国民民主連盟(NLD)が圧勝したものの軍は選挙を無視して独裁を強化したのである。そのミャンマーでも2011年に民政移管が実現し、軍は15年選挙で勝利を収めたNLDに権力を移譲した。08年憲法が軍に大きな権力を認めているだけに民主政治とは呼べないが、その歩みは始まったという期待があった。

NLD政権は非効率と腐敗に悩まされ、軍が実質的に保持する権力も明らかだった。だが、世論のNLD支持は強く、20年11月の総選挙でも圧勝、軍と直結した連邦団結発展党(USDP)は惨敗した。選挙によって支持を集めることのできない軍の焦りがクーデターの背景にあった。
クーデターに対して欧米諸国で議論されているのが経済制裁の再開である。03年にアメリカの加えた経済制裁が軍に民政移管を認めさせた背景にあった。16年の制裁解除後、少数民族ロヒンギャに対する迫害が50万に上る難民を生み出すと、限定的とはいえ欧米諸国は経済制裁を再開した。今回のクーデター後にもアメリカはクーデター首謀者の資産凍結などの措置に踏み切った。
経済制裁には限界がある。まず、ミャンマー国軍が行動を変えるとは限らない。かつてのような全面的経済制裁に踏み切るならば国民生活に打撃を加えてしまう。さらに制裁再開がこれまで以上にミャンマーを中国との関係強化に追いやる懸念もある。
ミャンマーはインド洋からエネルギーを輸送する要路にあるだけに経済的にも軍事的にも中国にとっては極めて重要であり、中国政府は新首都ネピドーの建設を始めとする厖大(ぼうだい)なインフラストラクチャー支援によって両国の関係強化に腐心してきた。いち早くクーデターを非難したバイデン新政権や欧州連合(EU)と異なり、中国は政治的・社会的安定の保持を求めるにとどまった。欧米諸国との対比は明らかだ。

とはいえ、中国の戦略などという地政学の視点ばかりからミャンマー情勢を考えることには賛成できない。現在の問題は、民主政治を壊してでも権力保持を図るミャンマー国軍と、非武装でありながら軍に立ち向かう国民との対峙(たいじ)だからである。
クーデター直後の抗議はソーシャルメディアを中心に発信され、集会の規模は必ずしも大きくなかった。弾圧を恐れる以上は当然だが、次第に参加者は増大し、2月6日に軍がインターネット接続を遮断すると規模はさらに拡大した。2月12日には数十万人が抗議に加わったと伝えられている。
だが弾圧も加速し、実弾による死者も出た。2月15日に欧米諸国の在ミャンマー大使館が平和的抗議への力の行使の回避を求める声明を行ったが、これはさらに大規模な流血事件の恐れが高まる危機感の現れだろう。
軍への明確なメッセージをいま伝えなければ、ミャンマーは圧政に戻ってしまう。ミャンマーばかりではない。アラブの春は独裁回帰や内戦に終わり、ロシアやトルコの指導者が権力を集中し、中国では強権支配がさらに強まった。民主化のうねりが独裁へのうねりに反転した世界だからこそ、軍に立ち向かうミャンマー国民を見捨ててはならない。
では何ができるのか。私は、日本がミャンマーへの経済援助を見直すことを提案したい。中国を別とすればミャンマーとの経済協力で抜きんでているだけに日本が援助を見直す影響は大きい。即時全面停止ではない。国民生活への影響を最小限にするようどの援助を停止するかを判断すべきだろう。
これまで日本は制裁よりも経済協力を重視し、それによって信頼を築いてきた。援助を見直せばその信頼を失い、ミャンマーと中国のつながりを強める結果も招きかねない。その懸念を承知の上で敢(あ)えて見直しを提案する理由は、日本は軍を支えるのか、ミャンマー国民と連帯するのかという選択がいま問われているからである。ミャンマー国軍を国民よりも優先することがあってはならない。(国際政治学者)

*この文章は朝日新聞夕刊『時事小言』に2021年2月17日に掲載されたものです。