科学と社会がともに歩む世界を作る

科学と社会がともに歩む世界を作る

公共政策大学院 特任准教授 松尾真紀子

研究分野は?

新興科学技術をどのように社会に導入するかを考える学問

私の研究分野は科学技術政策・ガバナンスの一分野で、「科学技術をどのようによい形で社会に導入していくか」を研究しています。科学技術は社会に対して多大な便益をもたらすと同時に、ときに新たなリスクや問題を突きつけます。問題を抑制し、技術の便益を社会で広く享受するためには、適切なリスク・ガバナンスを行った上で技術の導入を考える必要性があります。

社会・政策と科学のつながりについて考える上で、自分自身は、食品中の放射性物質のリスク、遺伝子組換え技術やゲノム編集技術の食品への応用など、食品に関する科学技術と社会の関係を主な対象として研究してきました。たとえば、2011年の東日本大震災とそれに由来する原発事故で広範囲に放射性物質が拡散しましたが、食品の安全性・リスクをどう考え、どのようなガバナンスが必要かを研究しました。直近ではゲノム編集由来食品の社会導入に際して考慮しなくてはならないことをELSI(倫理的・法的・社会的課題)の観点、とりわけ法制度に着目して研究しています。他国はどのような規制をしているか、日本はどういうアプローチで進めるのが望ましいか、これまでの日本の規制はどうだったか、従来の規制でカバーできないギャップはどこにあるかなどの分析を行なっています。

この分野での分析視覚・コンセプトとして、「フォーサイト」、「テクノロジー・アセスメント(技術の社会影響評価)」、「リスク・ガバナンス」などがあります。20~30年先といった長いスパンで未来を分析するのがフォーサイト。広い視野で、予測しうるさまざまなシナリオをホライゾンスキャニングで収集した情報をもとに考えます。それに対し、5年、10年ぐらいのタイムスパンで「このような技術が出てくるだろう。そしてその技術は社会にAという影響をもたらすのではないか。あるいはBという影響もありうる」と、もう少し近い未来でだいたいの方向が見えてきたところの社会影響の検討を扱うのがテクノロジー・アセスメントです。さらに現在に近いところで、より具体的に「この技術によって社会にどんな問題が起きるか」を見て、誰にどのようなリスクがもたらされるのかを評価し、管理の制度設計を考えるのがリスク・ガバナンス。非常に具体的な、「いま」の話ですね。

最近の新興技術の特徴としては、技術の進展が加速しているということがあります。ゲノム編集技術の中でもCRISPR/Cas9は2012年に発表されたばかりで新興技術の代表のように言われますが、日本でも昨年(2019年)法規制上の取り扱いが明らかにされ、ゲノム編集を適用した作物には商品化間近のものもあり、ちょっと先の「未来」と思っていたのが「現在」の技術分野になりつつあります。言い換えれば、テクノロジー・アセスメントの対象と思われた技術がリスク・ガバナンスの対象になる。研究領域の境目もあいまいになってきています。

最終到達点は?

分野の違う専門家同士がELSIを議論できる場をつくり出すこと

技術の社会影響(持つ意味合い)が多様なため、「専門家」同士ですら意見が一致しないことも多いです。こうした状況を踏まえて、多様な専門家やステークホルダーが、技術のあり方について意義のある議論の枠組みをどのように作り出すかは、今後の目標の一つだと思います。

よく自然科学系と社会科学系でものの見方が一致しないと言われますが、自然科学系と社会科学系の研究者で一致しないというだけでなく、自然科学系のなかでも異なります。たとえば微生物を対象にゲノム編集をしている専門家は、一時間単位で大量に増える生物を見ています。しかし鶏や牛などの個体を見ている専門家は、変わるといっても月・年単位。「ゲノム編集で生物が変わる」と言ったときのタイムスケールや「変化」の感覚がまったく異なります。

また、同じゲノム編集でも適用される分野でかなり違います。例えば医療応用をめざす専門家の場合、人体に対するオフターゲット作用(狙ったところでない部分が改変されること)は「一度でも決して起きてはいけないこと」です。しかし植物を対象にしている専門家にとっては、悪影響のあるオフターゲットはもちろん問題ですが、それは育種の過程で選抜・排除されると考える。応用先によってとらえ方が違うのです。

さらに、生物そのものを扱う「ウエット系」と情報を扱う「ドライ系」でも違いが出る。たとえば合成生物学の分野では、ゼロからコンピューターで作ろうとしている専門家もいる。その分野の人の「生物に対するものの見方」の感覚は全然違う。

分野間の相互理解を深めるのも大事なところです。ゲノム編集を実際に用いている技術者とテクノロジー・アセスメントやリスク・ガバナンスの専門家とが、相互に認め合い「話ができる」状況(意見が一致しなくても)が必要と思います。

社会科学系についても、研究分野ごとにコミュニティが独立して十分な連携が見られないように思います。先ほど述べた、新興技術を分析する「フォーサイト」、「テクノロジー・アセスメント」、「リスク・ガバナンス」のアプローチごとに、専門家コミュニティが存在し、分野横断的な交流が十分になされてこなかった。

しかしながら、フォーサイトの専門家は未来の予測だけ、リスク・ガバナンスの専門家は今のリスクだけ見ていればいいわけではない、と私は考えています。リスク・ガバナンスの研究者はテクノロジー・アセスメントで扱われているような、近い将来出てきそうな問題を先取りして具体的・実証的にデータ集めやレギュラトリーサイエンスの推進をするべきですし、テクノロジー・アセスメントの研究者は5年、10年先だけでなくもっと先を見てバックキャスティングで考えることが必要です。すなわち、「現在」「5〜10年先」「20~30年以上先」をすべて視野に入れて考えることが大事になってくると思いますね。

Source:松尾・岸本(2017)「新興技術ガバナンスのための政策プロセス における手法・アプローチの横断的分析」
社会技術研究論文集 Vol.14, 84-94, June 2017 http://shakai-gijutsu.org/vol14/14_84.pdf
 

技術の社会影響を予測するのは困難だけど、技術が普及してしまった後は逆にそれをコントロールするのが難しいという、いわゆるコリングリッジのジレンマがあります。往々にして、新興技術はリスク・ベネフィットに関するエビデンスが十分にない不確実性が高い中ガバナンスを考えていかないといけない状況に陥ります。そうした中、技術の推進と管理・監視をバランスよくやって、技術と社会がきちんと歩調をそろえていく必要があります。

その際に、認識が専門家によってもステークホルダーによっても大きく違うので、そういう分野間の違いがあるなかで、先端的な科学的知見をうまく組み合わせ、どうやってELSIやガバナンスをうまく議論してゆけるか、こうした場を作り上げていくのがこの分野の大きな課題だと思います。

20年、30年後は?

テクノロジー進化の加速でリスク・ガバナンスとテクノロジー・アセスメントの協業がなお求められる世界に

2050年には、ゲノム編集技術や合成生物学などの新興技術も、AIを始めさまざまな要素がかけ合わさり、大きく変わっているでしょう。現在でももう、ゼロからデジタルに遺伝子配列を組むことができるようになってきていますから、実験も計算もコンピューター上でAIが行うようになると、研究や開発のスピードは加速度的に上がるはずです。そうすると、科学技術ガバナンスの重要性も一層増すわけで、異なる分野の研究者が対話し、リスク・ガバナンスの場を設けることの重要性は増加する一方でしょう。

科学技術のスピードが増すと、少なくともリスク・ガバナンスの研究者とテクノロジー・アセスメントの研究者は交流していく必然性が高まっていくと思います。ただ現在のところ、リスク・ガバナンスの研究者は「安全性」の話が多く、科学的な議論にとどまっているので、視野をELSIのほうへ広げることが求められるでしょう。他方でテクノロジー・アセスメントやSTSの研究者は、具体的な科学的エビデンスの話は少なく、どちらかというと社会影響の話に偏っているきらいがあります。技術の進展が早くなり両者の境目が曖昧になる中、より一層の協業が起こることが望ましいと思います。

未来社会との接点は?

研究を始める際にその社会的インパクトを考えられる人材の育成を

技術と社会の距離が短くなる中で、ELSIなどをより具体的な形で社会で議論する必要性があります。

私はこれまでずっと社会科学系の研究者として自然科学系の研究者とやりとりをしてきましたが、各研究分野の“専門性”が時に、社会科学的視点と自然科学的視点の相互理解の壁になることがあります。実際、ELSIを議論することが科学技術の推進のブレーキになるととらえ、社会科学系研究者とのコミュニケーションを最初から敬遠する技術者もいるのも現実です。

でも世界では変化も見られます。たとえば、これは数年前に米国リスク学会での発表の中で聞いた話ですが、「ジーンドライブ」(メンデルの法則に基づく通常の遺伝と異なる、目的の遺伝を意図的に生じさせる技術。感染症の撲滅などに用いられる可能性がある)と呼ばれる技術を考えたハーバード大学のケビン・エズベルト氏は論文を出す前に、これは生態系や社会的インパクトが大きい技術だと思う、とマサチューセッツ工科大学でリスク・ガバナンスを研究するケン・オオエ氏に相談したそうです。それに応えてオオエ氏はエズベルト氏と共同でジーンドライブの社会影響に関する論点を論文にして、エズベルト氏のジーンドライブの論文が発表されると同時にこの論文も発表しました。これは、バイオテクノロジーの分野における新興技術にかかわる技術者とリスク・ガバナンス研究者との関係の先進的な例のひとつだと思います。

このように、これからの時代は、単なる好奇心から「これは面白そうだ」、「役に立ちそうだ」だけで研究を始めるのではなく、その研究がもたらしうる社会的なインパクトについてあらかじめ「想像するセンス」が必要になってくると思います。大学の教育についていえば、研究者として確立してからではなく学生の段階で、自分が扱っている技術が10年後、20年後に社会にどのようなインパクトを与えるか、どんな応用が出てくる可能性があるか、誰が使うのか、どんな人にベネフィットがあり、どんな人にリスクがあると思うか、といったことを考える機会が必要になります。研究をする際に、ELSIをセットで考えることが当たり前のことになることが理想です。もちろん、自然科学系の専門家が単独でこうした作業を全てすることは不可能なので、先ほどから言っている、多様な専門家が連携することが必要となるのです。

現在私は、東京大学の公共政策大学院の文科省のファンドでSTIG(Science Technology Innovation Governance)というプログラムの運営に関与してます。そこでは、これまでお話したような研究を展開するとともに、大学院生を対象に、科学技術イノベーション政策やテクノロジー・アセスメントの授業を通じて、こうした人材の育成にも取り組んでます。また、広島大学の卓越大学院プログラム「ゲノム編集先端人材育成プログラム」は医学・農学等様々な分野のゲノム編集を使いこなせる人材輩出を目的としてますが、そのプログラムでもELSIについて学習する機会を設けており、そこにも関与させてもらってます。このように、実際に技術を用いる研究者が早い段階で社会的インパクトを考える取り組みがますます増えていくことが必要と思います。


略歴

松尾真紀子(まつお・まきこ)
東京大学大学院新領域創成科学研究科修了(2005年9月、国際協力学修士)後、東京大学大学院法学政治学研究科産官学連携研究員、東京大学公共政策大学院特任研究員、東京大学政策ビジョン研究センター特任研究員、特任助教、特任講師等を経て、2020年4月1日より東京大学公共政策大学院特任准教授として科学技術イノベーション政策における「政策のための科学」教育・研究ユニットによるSTIG:Science, Technology, and Innovation Governanceプログラムに従事。東京大学大学院新領域創成科学研究科博士(2016年3月、国際協力学)。